・・・ 明治三十年六月二十日東京青山において内村鑑三に及ぶ文章はあるまい。これはまったく外からの雑りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうしてかくも有名なる本は何であるかというと無学者の書いた本でありま・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ラファエル・フォン・ケーベルやカルル・ヒルティや、内村鑑三らが信じて疑うことができなかったように私たちの地上に別れた霊魂は再び相合うときがあるのではなかろうか。深き別離は実際われわれの霊魂にむくろを残しているのである。私たちは去り行きたる人・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニアラザルモノトシテ、モッパラ洋書ニ親シミツツアルモ、最近、貴殿ノ文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗躍動、マ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・塚本虎二氏の、「内村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは皆こんなもんだ、親切を仇にとられる。』と・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・の筆者が、戦後には、まことに突如として、内村鑑三先生などという名前が飛び出し、ある雑誌のインターヴューに、自分が今日まで軍国主義にもならず、節操を保ち得たのは、ひとえに、恩師内村鑑三の教訓によるなどと言っているようで、インターヴューは、当て・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・二三の小説は、私を激怒させた。内村鑑三の随筆集だけは、一週間くらい私の枕もとから消えずにいた。私は、その随筆集から二三の言葉を引用しようと思ったが、だめであった。全部を引用しなければいけないような気がするのだ。これは、「自然。」と同じくらい・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
出典:青空文庫