・・・いつかおれはあの男が、海へ卒塔婆を流す時に、帰命頂礼熊野三所の権現、分けては日吉山王、王子の眷属、総じては上は梵天帝釈、下は堅牢地神、殊には内海外海竜神八部、応護の眦を垂れさせ給えと唱えたから、その跡へ並びに西風大明神、黒潮権現も守らせ給え・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・叔父の家は丘のふもとにあり、近郊には樹林多く、川あり泉あり池あり、そしてほど遠からぬ所に瀬戸内内海の入江がある。山にも野にも林にも谷にも海にも川にも、僕は不自由をしなかったのである。 ところが十二の時と記憶する、徳二郎という下男がある日・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・大阪から例の瀬戸内通いの汽船に乗って春海波平らかな内海を航するのであるが、ほとんど一昔も前の事であるから、僕もその時の乗合の客がどんな人であったやら、船長がどんな男であったやら、茶菓を運ぶボーイの顔がどんなであったやら、そんなことは少しも憶・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・などにさながらにかかれているところであるが、瀬戸内海のうちの同じ島でも、私の村はそのうちの更に内海と称せられる湖水のような湾のなかにあるので、そこから丘を一つ越えてここへ来るとやや広々とした海と、その向うの讃岐阿波の連山へ見晴しがきいて、又・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ 夕方内海に面した浜辺に出て、静かな江の水に映じた夕陽の名残の消えるともなく消えてゆくのを眺めていると急に家が恋しくなって困ることがあった。たった三里くらいの彼方のわが家も、こうした入江で距てられていると、ひどく遠いところのように思われ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
瀬戸内海はその景色の美しいために旅行者の目を喜ばせ、詩人や画家の好い題目になるばかりではありません。また色々な方面の学者の眼から見ても面白い研究の種になるような事柄が沢山あります。一体、あのような込み入った面白い地形がどう・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・ 目の下にはあの芥だらけの内海の渚がはてしなくつづいて、会う女の大抵は見っともなくお白粉をぬった女か魚臭い女で――。「おむつ」がハタハタひらめくと魚の臭いがプーンと来る、もうほんとうにたまらない。 やっぱりあすこの方が好いからも・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ そして、ひろく、はてしもなくある内海の青い色と御台場の草のみどりと白い山のような雲と、そうした気持の好いものばかりを一生県命に見つめて居る。私の目の力がいつにもまして強くなったように、向ーに、ちょっピリとうかんで居る白帆から御台場の端・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫