・・・伝染病患者を内証にしておけば患者がふえる。あれと似たようなものであろう。 こうは言うもののまたよくよく考えて見ていると災難の原因を徹底的に調べてその真相を明らかにして、それを一般に知らせさえすれば、それでその災難はこの世に跡を絶つという・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・ わたしがこの質屋の顧客となった来歴は家へ出入する車屋の女房に頼んで内所でその通帳を貸してもらったからで。それから唖々子と島田とがつづいて暖簾をくぐるようになったのである。 もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・あんまりわがままばかりなさると、私が御内所で叱られますよ」「ふん。お前さんがお叱られじゃお気の毒だね。吉里がこうこうだッて、お神さんに何とでも訴けておくれ」 白字で小万と書いた黒塗りの札を掛けてある室の前に吉里は歩を止めた。「善・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘わらず、既に骨肉の間に計略を運らすことにして、子女養育の道に非ざるなり。一 女子既に成長して家庭又・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ わたくしはあなたの記念を心の隅の方に、内証で大切にしまって置いて、昔のようになんの幸福もなしに暮らしていました。それからわたくしは二度目に結婚いたしました。これまで申上げると、わたくしはこの手紙を上げる理由を御話申さなくてはなりません・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 人の見かけを、江戸前らしく仕度(てるために、内所の苦労は又、人なみではない。 嫁には、無理じいに茶漬飯を食べさせて置いて、自分は刺身を添えさせ、外から来る人には、嫁が親切で、と云いたいたちであった。 赤の他人にはよくして、身内・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・不断から食の強い児で年や体のわりに大食した上に時々は見っともない様な内所事をして食べるので私が来る前頃胃拡張になって居た。胃から来た脳膜炎だろうと云うのが皆の一致した想像だった。 若し実際脳膜炎だとすればどうぞ死んで呉れる様にと私は願っ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・奥さんは内証で青山博士が来た時尋ねてみた。青山博士は意外な事を問われたと云うような顔をしてこう云った。「秀麿さんですか。診察しなくちゃ、なんとも云われませんね。ふん。そうですか。病気はないから、医者には見せないと云うのでしたっけ。そうか・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・すると女房が内証で里から金を持って来て帳尻を合わせる。それは夫が借財というものを毛虫のようにきらうからである。そういう事は所詮夫に知れずにはいない。庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・ですけれど内証のお話でございますよ。男。それは内証のお話と内証でないお話ぐらいはわたくしにだって。貴夫人。いいえ。そのお話申す事柄が内証だと申すのでございませんわ。事柄だけならいくらお話なすっても宜しゅうございますの。ただそれがいつ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫