・・・ それは薄曇りの風の弱い冬日であったが、高知市の北から東へかけての一面の稲田は短い刈株を残したままに干上がって、しかもまだ御形も芽を出さず、落寞として霜枯れた冬田の上にはうすら寒い微風が少しの弛張もなく流れていた。そうした茫漠たる冬田の・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・傾きやすき冬日の庭に塒を急ぐ小禽の声を聞きつつ梔子の実を摘み、寒夜孤燈の下に凍ゆる手先を焙りながら破れた土鍋にこれを煮る時のいいがたき情趣は、その汁を絞って摺った原稿罫紙に筆を執る時の心に比して遥に清絶であろう。一は全く無心の間事である。一・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽の匂う草の上に坐って見たい気持をおこさせた。 杉林や空地はどれも路の右側を占めてい・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・ニコライの鐘楼と丸屋根が美しく冬日に輝いて、霜どけの花壇では薬草サフランと書いた立札だけが何にも生えていない泥の上にあった。由子はうっとり――思いつめたような恍惚さで日向ぼっこをした。お千代ちゃんは眩しそうに日向に背を向け、受け口を少しばか・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・背後には、午後の冬日がさしている。畳廊下の向うの硝子に、祭壇の燃える蝋燭の二ツの焔が微に揺れながら映っていた。二本の燭はこれも一隅が映っている白い包みを左右から護って、枯れた辛夷の梢越しに、晴れやかに碧い大空でゆらめいているように見えた。・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・しかし、その大看板が車よせの庇の上で、うららかな冬日を満面にうけているところは、粗野だが真情のある大きな髭男がよろこび笑っているような印象を与えた。通りから見あげて、ひとりでに口元がくずれ、昔の女が笑いをころすときしたようにひろ子は、元禄袖・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫