・・・ これが薬なら、身体中、一筋ずつ黒髪の尖まで、血と一所に遍く膚を繞った、と思うと、くすぶりもせずになお冴える、その白い二の腕を、緋の袖で包みもせずに、……」 聞く欣八は変な顔色。「時に……」 と延一は、ギクリと胸を折って、抱・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・の時は濡れたような真黒な暗夜だったから、その灯で松の葉もすらすらと透通るように青く見えたが、今は、恰も曇った一面の銀泥に描いた墨絵のようだと、熟と見ながら、敷石を蹈んだが、カラリカラリと日和下駄の音の冴えるのが耳に入って、フと立留った。・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・青い火さきが、堅炭を搦んで、真赤におこって、窓に沁み入る山颪はさっと冴える。三階にこの火の勢いは、大地震のあとでは、ちと申すのも憚りあるばかりである。 湯にも入った。 さて膳だが、――蝶脚の上を見ると、蕎麦扱いにしたは気恥ずかしい。・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・が、十夜をあての夜興行の小芝居もどりにまた冴える。女房、娘、若衆たち、とある横町の土塀の小路から、ぞろぞろと湧いて出た。が、陸軍病院の慰安のための見物がえりの、四五十人の一行が、白い装でよぎったが、霜の使者が通るようで、宵過ぎのうそ寒さの再・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・良い思案も泛ばず、その夜は大阪駅で明かすことにしたが、背負っていた毛布をおろしてくるまっていても、夏服ではガタガタ顫えて、眼が冴えるばかりだった。駅の東出口の前で焚火をしているので、せめてそれに当りながら夜を明かそうと寄って行くと、無料では・・・ 織田作之助 「世相」
・・・それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破っ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・とある雨の夜、父は他所の宴会に招かれて更けるまで帰らず、離れの十畳はしんとして鉄瓶のたぎる音のみ冴える。外には程近い山王台の森から軒の板庇を静かにそそぐ雨の音も佗しい。所在なさに縁側の障子に背をもたせて宿で借りた尺八を吹いていた。一しきり襲・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・ 野蛮な声の爆発が鎮ると、都おどりのある間だけ点される提灯の赤い色が夜気に冴える感じであった。 空には月があり、ゆっくり歩いていると肩のあたりがしっとり重り、薄ら寒い晩であった。彼等は帰るなり火鉢に手をかざしていると、「どう・・・ 宮本百合子 「高台寺」
出典:青空文庫