・・・その時分から冷静な兄は、彼がいくらいきり立っても、ほとんど語気さえも荒立てなかった。が、時々蔑むようにじろじろ彼の顔を見ながら、一々彼をきめつけて行った。洋一はとうとうかっとなって、そこにあったトランプを掴むが早いか、いきなり兄の顔へ叩きつ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ですから夫婦仲の好かった事は、元より云うまでもないでしょうが、殊に私が可笑しいと同時に妬ましいような気がしたのは、あれほど冷静な学者肌の三浦が、結婚後は近状を報告する手紙の中でも、ほとんど別人のような快活さを示すようになった事でした。「・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・頭を冷静にしてよく聞け。いいか。ともちゃんに選ばれた奴は実はその選ばれた奴の弟なんだ。いいか。そしてともちゃんとその弟とは前から夫婦なんだ。ともちゃんは、俺たちに理解と同情とを持っていて、モデルも傭えないほど貧乏な俺たちのためにモデルになっ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・私たちの性格は両親から承け継いだ冷静な北方の血と、わりに濃い南方の血とが混り合ってできている。その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・画家 (且つ傾き、且つ聞きつつ、冷静に金口煙草を燻お爺さん、煙草を飲むかね。人形使 いやもう、酒が、あか桶の水なれば、煙草は、亡者の線香でござります。画家 喫みたまえ。(真珠の飾のついたる小箱のまま、衝と出人形使 はッこれは・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・燃えるようなおとよのことばも、お千代の口から母に話す時は、大半熱はさめてる、さらに母の口から父に話す時は、全く冷静な説明になってる。「なんだって……ここで嫁に出れば淫奔になるって……。ばかばかしい、てめいのしてる事が大の淫奔じゃねいか、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・その全体において、さきに劇場にいる友人に紹介した時よりも熱がさめていたので、調子が冷静であった。無論、友人に対する考えと先輩に対する心持ちとは、また、違っていたのだ。ただ、心配なのは承知してくれるか、どうかということだ。「もう、書けたの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・マセヌ、ナゼソンナニアワテルカトオ思召シマショウガ、ソレハ明後日アタリノ新聞広告ニ出マス件ト、妹ノ方ノ件ト二ツノ急要ガアルタメデス、オユルシ下サイ 五日正午 緑雨の失意の悶々がこの冷静を粧った手紙の文面にもありあり現われ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・が、人生の説明者たり群集の木鐸たる文人はヨリ以上冷静なる態度を持してヨリ以上深酷に直ちに人間の肺腑に蝕い入って、其のドン底に潜むの悲痛を描いて以て教えなければならぬ。今日以後の文人は山林に隠棲して風月に吟誦するような超世間的態度で芝居やカフ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ あの時代の文壇の状況と、その交って来たいろ/\の人々について、私は、いつか書いて見たいと思っているが、それはもっと私という人間が、冷静になって、私情で物を言わなくなった時でなければ、言うものでないと思っています。 さて、その当時、・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
出典:青空文庫