・・・窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そう・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・から、寺の諸所へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家を狩集めて見張となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛ついて消す間に、梁へ炎が絡む、ソレ、と云う内羽目板から火を吐出す、凡そ七日ばかりの間、昼夜詰切りで寐る事も・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・此奴ら、大地震の時は弱ったぞ――啄んで、嘴で、仔の口へ、押込み揉込むようにするのが、凡そ堪らないと言った形で、頬摺りをするように見える。 怪しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛のないもので、陽気がよくて、お腹がくちいと、うとう・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 凡そ何に由らず社会に存在して文明に寄与するの成績を挙げ得るは経済的に独立するを得てからである。誰やらが『我は小説家たるを栄とす』と声言したのは小説家として立派に生活するを得る場合に於て意味もあり権威もあるので、若し小説家がいつまでも十・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・しばらくは忘れることの出来ぬようなものであってもやがては忘れてしまうのです。凡そその程度のものであるから、もとより享楽すべきものであって、これによって、旧文化の根底を改めて新文化をば建設しようなどゝ考えるのは、あまりに安価な考え方であると思・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・たゞ見る人が謙虚にして、それに対して考うるだけの至誠があれば足りるものだ。凡そ、そこには、子供と成人の区別すらないにちがいない。 真に、美しいもの、また正しいものは、いつでも、無条件にそうあるのであって、それは、理窟などから、遙かに超越・・・ 小川未明 「名もなき草」
・・・嘘つきでない小説家なんて、私にとっては凡そ意味がない。私は坂口安吾が実生活では嘘をつくが、小説を書く時には、案外真面目な顔をして嘘をつくまいとこれ努力しているとは、到底思えない。嘘をつく快楽が同時に真実への愛であることを、彼は大いに自得すべ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 六 ――凡そ何が醜悪だと言っても、川那子メジシン新聞広告ほど、醜悪なものはまたとあるまい。 丹造は新聞広告には金目を惜しまず、全国大小五十の新聞を利用して、さかんに広告を行った。一頁大の川那子メジシンの広告・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ とまでは頗る真面目であったが、自分でも少し可笑しくなって来たか急に調子を変え、声を低うし笑味を含ませて、「何となれば、女は欠伸をしますから……凡そ欠伸に数種ある、その中尤も悲むべく憎くむ可きの欠伸が二種ある、一は生命に倦みたる欠伸・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ その時、神崎様が巻煙草の灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私は何でもないというと、だから貴女は駄目だ、凡そ宇宙の物、森羅万象、妙ならざるはなく、石も木もこの灰とても面白からざるはなし、それを左様思わないのは科学の・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
出典:青空文庫