・・・平林たい子のことばをもじっていえば、戦後、凱歌を奏しつつひきかえして来た知識階級は、一九四九年にいたってふたたび、そのおなじ道を旗をまいて敗走しつつあるといえます」「一九四九年の諸事件はリトマス試験紙をさしこんだかたちであります」そして、「・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 燃えにもえ輝きに輝いた大火輪はその威と美とに世のすべてのものをおおいながらしずしずと凱歌を奏しながらこの高原の絶端に向って下る。 山も――川も――野も――、そうして私まで、 世は黄金で包まれた。 雲は紫に赤にみどりにその帳・・・ 宮本百合子 「小鳥の如き我は」
・・・こそドストイェフスキーと彼の人物においては生の最高の凱歌である。○自己誕生の神秘 p.190○ドストイェフスキーの芸術は常に中心点を狙い、従って心理学における人間中の人間、つまりあらゆる文化の階層の背後に遠く横わっている絶対的で抽象・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・やがて祖父さんは、こういう揚足とりに対しては何かできっとこっぴどくゴーリキイに仕返しをするのであったが、暫くでも祖父さんをまごつかせたことで、ゴーリキイは「凱歌をあげた。」 これにくらべて祖母さんアクリーナの神は、何と親密で、人間のよう・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・かれは直ちに家を飛びだしてこの一条の物語がうまく小説らしく局を結んだと語り歩いた。かれは凱歌をあげた。『何さ、わしが情けないこったと思ったのはお前さんも知らっしゃる通り、この一条の何のというわけでない、ただ嘘偽ということであったので。嘘・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・雪は若檀那様に物を言う機会が生ずる度に、胸の中で凱歌の声が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝しているのである。 この時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むよう・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・歓喜は勝利の凱歌である。生は不断の戦いであるゆえに苦患と離れることができない。勝利は戦って獲られるべき貴い瞬間であるゆえに必ず苦患を予想する。我らは生きるために苦患を当然の運命として愛しなければならぬ。そして電光のように時おり苦患を中断する・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫