・・・ そのころ私のすがたにどこやら似たところのある異国の一青年が、活動役者として出世しかけていたので、私も少しずつ女の眼をひきはじめた。私がそのカフェの隅の倚子に坐ると、そこの女給四人すべてが、様様の着物を着て私のテエブルのまえに立ち並んだ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ こういう人はたぶん出世のできない人であろうと思う。 もっとも、こういう人が世の中に一人もなくなってしまったら、世の中にけんかというものもなくなり、国と国との間に戦争というものもなくなってしまうかもしれない。そうなるとこの世の中があ・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・「ホホン――、それでわしらの労働者を踏み台にして、未来は代議士とか大臣とかに出世なさっとだろうたい、そりゃええ」 高坂でも、長野でも、この小男の「ホホン」には真ッ赤にさせられ、キリキリ舞いさせられた。いつも板裏草履をはいて、帯のはし・・・ 徳永直 「白い道」
・・・滔々たる古今の濁水社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚り芸妓より出世して立派に一家の夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固より淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤しみても尚お余りある者なれども、其これを・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・するとその貯金がたまって後には金持に出世する。しかし大鷲の意見と僕の意見と往々衝突するから保証は出来ない。 三橋に出ると驚いた。両側の店は檐のある限り提灯を吊して居る。二階三階の内は二階三階の檐も皆長提灯を透間なく掛けて居る。それでまだ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・知事や大臣にはなれなくても、せめて軍人になれば出世は力次第だから。」という親心と息子の心を吸収して、百姓の息子でも、軍人ならば大将にだって成れる道として、軍国日本に軍人の道が開かれていたのである。日本の大学は、人類の理性と学問に関するアカデ・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・商売というものの性質も昨今は急速に変って来ているのだし、従って明治時代に描かれたような個人の立身出世の夢や、この一二年前のような戦時成金への夢想も既に現実のよりどころは喪っている。自分一人の儲け、自分一人の立身出世、それを狙うことの愚かさは・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・そのなかの一人である安倍源基は特高課長、警視総監、内務大臣と出世したが、その立身の一段一段は小林多喜二の血に染められ岩田義道の命をふみ台にしている。天羽英二は情報局長としてあんなに人民の言論と思想、文化の自由を根こそぎ刈った。 これらの・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・そんな風な経済記事が扱われ、政治にしろ、そのときの大臣連の出世物語、政界内幕話という工合であった。戦争がはじまったとき、すべての浪花節、すべての映画、すべての流行唄、いわゆる大衆娯楽の全部が戦争宣伝に動員された。大衆文学・大衆小説はその先頭・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・ところがあの通りこの上もない出世をして、重畳の幸福と人の羨むにも似ず、何故か始終浮立ぬようにおくらし成るのに不審を打ものさえ多く、それのみか、御寵愛を重ねられる殿にさえろくろく笑顔をお作りなさるのを見上た人もないとか、鬱陶しそうにおもてなし・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫