・・・が、そこに滞在して、敵の在処を探る内に、家中の侍の家へ出入する女の針立の世間話から、兵衛は一度広島へ来て後、妹壻の知るべがある予州松山へ密々に旅立ったと云う事がわかった。そこで敵打の一行はすぐに伊予船の便を求めて、寛文七年の夏の最中、恙なく・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・…… 二 僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えていた。ある粉雪の烈しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・否な独り同人ばかりでなく、先生の紹介によって、先生の宅に出入する幕賓連中迄兀々として筆をこの種の田舎新聞に執ったものだ。それで報酬はどうかというと一日一回三枚半で、一月が七円五十銭である。そこで活字が嬉しいから、三枚半で先ず……一回などとい・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 一体三味線屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好なり、殊に贔屓俳優の橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日になく好いというので、髪も結って一枚着換えて出たので・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・へ出入する奴は皆青瓢箪のような面をしている。が、日本では菜食党の坊主は皆血色のイイ健康な面をしている。日本の野菜料理が衛養に富んでるのは何よりこれが第一の証拠だ、」というのが鴎外の持論であった。「牛や象を見たまえ、皆菜食党だ。体格からい・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・緑雨が一葉の家へしげしげ出入し初めたのはこの時代であって、同じ下宿に燻ぶっていた大野洒竹の関係から馬場孤蝶、戸川秋骨というような『文学界』連と交際を初めたのが一葉の家へ出入する機会となったのであろう。その頃から私とは段々疎遠となって余り往来・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・鰻谷の汁屋の表に自転車を置いて汁を飲んで帰る。出入橋の金つばの立食いをする。かね又という牛めし屋へ「芋ぬき」というシュチューを食べに行く。かね又は新世界にも千日前にも松島にも福島にもあったが、全部行きました。が、こんな食気よりも私をひきつけ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった。そのくせ帝塚山の本宅にいる細君は女専中退のクリスチャンだった。細君は店へ顔出しするようなことは一度もなく、主人が儲けて持って帰る金を教会や慈善団体に寄附するのを唯一・・・ 織田作之助 「世相」
・・・彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。 ――コツコツ、コツコツ――「なんだい、あの音は」食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パン・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・この先生の言としては怪むに足らない、もし理窟を言って対抗する積りなら初めからこの家に出入をしないのである。と彼は思い返した。「エ、それともどうしても娘が欲しいと言うのか、コラ!」 校長は一語を発しない。「判然と言え! どうしても・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
出典:青空文庫