・・・が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下に掲げる出来事である。「二月×日 俺は今日午休みに隆福寺の古本屋を覗きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色の幌を張った支那馬車である・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・けれどもそれは懸け値なしに、一瞬の間の出来事だった。お嬢さんははっとした彼を後ろにしずしずともう通り過ぎた。日の光りを透かした雲のように、あるいは花をつけた猫柳のように。……… 二十分ばかりたった後、保吉は汽車に揺られながら、グラスゴオ・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・彼れはじっとその戯れを見詰めながら、遠い過去の記憶でも追うように今日の出来事を頭の中で思い浮べていた。凡ての事が他人事のように順序よく手に取るように記憶に甦った。しかし自分が放り出される所まで来ると記憶の糸はぷっつり切れてしまった。彼れはそ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
○ これも正しく人間生活史の中に起った実際の出来事の一つである。 ○ また夢に襲われてクララは暗い中に眼をさました。妹のアグネスは同じ床の中で、姉の胸によりそってすやすやと静・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・そしてそれから処刑までの出来事は極めて単純である。可笑しい程単純である。 獄丁二人が丁寧に罪人の左右の臂を把って、椅子の所へ連れて来る。罪人はおとなしく椅子に腰を掛ける。居ずまいを直す。そして何事とも分からぬらしく、あたりを見廻す。この・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・戦争とか豊作とか饑饉とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。財産とともに道徳心をも失った貧民と売淫婦との急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦において、その法律の規定している罪人の・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・且つ天の星の如く定った軌道というべきものもないから、何処で会おうかもしれない、ただほんの一瞬間の出来事と云って可い。ですから何日の何時頃、此処で見たから、もう一度見たいといっても、そうは行かぬ。川の流は同じでも、今のは前刻の水ではない。勿論・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・それから、森を通る、姿は翠に青ずむまで、静に落着いて見えたけれど、二ツ三ツ重った不意の出来事に、心の騒いだのは争われない。……涼傘を置忘れたもの。…… 森を高く抜けると、三国見霽しの一面の広場になる。赫と射る日に、手廂してこう視むれば、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
古来例のない、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。 ロシアの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いてない。「あなたの御関係・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・たとえば自然の風物に対しても、そこには日毎に、というよりも時毎に微妙な変化、推移が行われるし、周囲の出来事を眺めても、ともすればその真意を掴み得ないうちにそれがぐん/\経過するからである。しかし観察は、広い意味の経験の範囲内で、比較的冷静を・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
出典:青空文庫