・・・人通りのない時、よしんば出来心にしろ、石でもほうり込まれ、怪我でもしたらつまらないと思い、起きあがって、窓の障子を填め、左右を少しあけておいて、再び枕の上に仰向けになった。 心が散乱していて一点に集まらないので、眼は開いたページの上に注・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・谷中から上野を抜けて東照宮の下へ差掛った夕暮、偶っと森林太郎という人の家はこの辺だナと思って、何心となく花園町を軒別門札を見て歩くと忽ち見附けた。出来心で名刺を通じて案内を請うと、暫らくして夫人らしい方が出て来られて、「ドウいう御用ですか?・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 嫁の実家、又は養子の実家のいいと云う事は、なかなか馬鹿に出来ないものだのに、フラフラと出来心でこんな事をして、揚句は、見越しのつかない病気になんかかかられて、食い込まれる…… お君が半紙をバリバリと裂いた音に、お金の考えが途中で消・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 斯うも思ったけれ共、それはごくほんの一寸の出来心で世間知らずの娘が一寸したことで死にたい死にたいと云って居ながら死なないで居ると同じな事でやっぱりそれを実行するほどすんだ頭をもって居なかった。 あてどもなく二人は歩き廻って夜が更け・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・「人には出来心って奴があるから、つまり此方がわるいのさ。――ただ、――どうもそう云う癖があるのは困りものだな――若しそうとすれば……」 小さい金入れの紛失から、彼等の蒙った金銭上の損害は僅少であった。中には、失望したろうと思われ・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・ その日から三日先の頁へほんの出来心で千世子は大きく白い処いっぱいに、「赤んべー」をして居る顔を描いた。そしてそのわきにボキボキと、 いいいと書きそえた。 自分でもよくあきないで居ると思うほど長い間それを見つめて居た・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ 学校の事をしようと思って机に向ったけれども例の気まぐれな、出来心で、徳川時代の方を御先にまわしてしまった。参考にと思って国文学史と関根先生の「小説史稿」と雑誌に出て居た江戸文学と江戸史跡をよむ。いるところへはり紙をして別に分けておいた・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・「たまにフッとした出来心でこんなものをこしらえるのも今日みたいな日には悪かない」 お敬ちゃんはこんな事を云って頭をなでて見たり、こまっかいひだをさすったりして居る。「紙人形は首人形と同じ位、私の大好きなお人形さんだ。あたまのこま・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫