・・・ところが、此寺の門前に一軒、婆さんと十四五の娘の親子二人暮しの駄菓子屋があった、その娘が境内の物置に入るのを誰かがちらりと見た、間もなく、その物置から、出火したので、早速馳付けたけれども、それだけはとうとう焼けた。この娘かと云うので、拷問め・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・火事があったら半鐘の音ぐらい聞えそうなもんだったが、出火の報鐘さえ聞かなかった。怎うして焼けたろう? 怎うしても焼けたとは思われない。 暗号ではないかとも思った。仮名が一字違ってやしないかとも思った。が、怎う読直しても、ケサミセヤケタ!・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・隣のTM教授が来て市中所々出火だという。縁側から見ると南の空に珍しい積雲が盛り上がっている。それは普通の積雲とは全くちがって、先年桜島大噴火の際の噴雲を写真で見るのと同じように典型的のいわゆるコーリフラワー状のものであった。よほど盛んな火災・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・一つには水道が止まった上に、出火の箇所が多数に一時に発生して消防機関が間に合わなかったのは事実である。また一つには東京市民が明治以来のいわゆる文明開化中毒のために徳川時代に多大の犠牲を払って修得した火事教育をきれいに忘れてしまって、消防の事・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・の最後に打撃を加えた出火事件の真相に対して、官憲はどんな調査をしただろう。 のこっている老舗の一つが、依然として講談社であり、そのすべての講談社的特性において残存していることは、日本の現代に何を語るだろう。戦争の年々に老舗たる貫録を加え・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・未の刻に佐久間町二丁目の琴三味線師の家から出火して、日本橋方面へ焼けひろがり、翌朝卯の刻まで焼けた。「八つ時分三味線屋からことを出し火の手がちりてとんだ大火事」と云う落首があった。浜町も蠣殻町も風下で、火の手は三つに分かれて焼けて来るのを見・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫