・・・そして辞儀の一つもする事を覚えてから出直すなら出直して来い。馬鹿」 そして部屋をゆするような高笑が聞こえた。仁右衛門が自分でも分らない事を寝言のようにいうのを、始めの間は聞き直したり、補ったりしていたが、やがて場主は堪忍袋を切らしたとい・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・一旦破寺――西明寺はその一頃は無住であった――その庫裡に引取って、炉に焚火をして、弁当を使ったあとで、出直して、降積った雪の森に襲い入ると、段々に奥深く、やがて向うに青い水が顕われた、土地で、大沼というのである。 今はよく晴れて、沼を囲・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・この様子に小宮山は、しばらく腕組をして、黙って考えていましたが、開き直ったという形で、「篠田、色々話はあるが、何も彼も明日出直して来よう、それまでまあ君心を鎮めて待ってくれ。それじゃ託り物を渡したぜ。」「ええ。」「いえ、託り物は・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 一旦家へ帰ってから出直してもよし、直ぐに出掛けても怪しゅうはあらず、またと……誰か誘おうかなどと、不了簡を廻らしながら、いつも乗って帰る処は忘れないで、件の三丁目に彳みつつ、時々、一粒ぐらいぼつりと落ちるのを、洋傘の用意もないに、気に・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・僕は、出発の当時、井筒屋の主人に、すぐ、僕が出直して来なければ、電報で送金すると言っておいたのだ。 先刻から、正ちゃんもいなくなっていたが、それがうちへ駆けつけて来て、「きイちゃんが、今、方々の払いをしておる」と、注進した。「じ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ こういって、猟師は、打つのをやめて、また、出直してこようと家へもどろうとしたのであります。 その途中で、知らない猟人に出あいました。その猟人もこれから山へ、くまを打ちにゆこうというのです。その男は、傲慢でありまして、なにも獲物なし・・・ 小川未明 「猟師と薬屋の話」
・・・』『まア出直した方がいいねエ、どうせ死ぬなら月でもいい晩の方がまだしゃれてらア。』『いやな、』と娘は言って座敷の方へどたばたと逃げ出してしまった。『出直した、出直した。その方がいい、あばよ、』と言って主人はよろめきながら出て来た・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・この愚僧は、たいへんおしゃれで、喫茶店へ行く途中、ふっと、指輪をはめて出るのを忘れて来たことに気がつき、躊躇なくくるりと廻れ右して家へ引きかえし、そうしてきちんと指輪をはめて、出直し、やあ、お待ちどおさま、と澄ましていました。 私は大学・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声になり、「でも、また出直して来てもいいんだよ。」「何か、こんたんがあるんだわ。むだには歩かないひとなんだから。」「いや、きょうは、本当に、……」「もっと、さっぱりなさいよ。あなた、・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・じゃ一度熊本へ帰ってまた出直してくるさ」「出直して来ちゃ気が済まない」「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情過ぎるよ」「そうでもないさ」「だって、今までただの一遍でも僕の云う事を聞いた事がないぜ」「幾度もあるよ」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫