・・・の仮面をつけた男と、それから三十四、五の痩せ型の綺麗な奥さんと二人連れの客が見えまして、男のひとは、私どもには後向きに、土間の隅の椅子に腰を下しましたが、私はその人がお店にはいってくると直ぐに、誰だか解りました。どろぼうの夫です。 向う・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・それにもかかわらずレニンのえらさは一般の世人に分りやすい種類のものである。取扱っているものが人間の社会で、使っているものが兵隊や金である。いずれも科学的には訳の分らないものであるが、ただ世人の生活に直接なものであるだけに、事柄が誰にも分りや・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・内容を賞翫して好いんだか、芸術を賞翫して好いんだか分りません。十段目に、初菊が、あんまり聞えぬ光よし様とか何とかいうところで品をしていると、私の隣の枡にいた御婆さんが誠実に泣いてたには感心しました。あのくらい単純な内容で泣ける人が今の世にも・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・もう分り切ってるじゃないか、それによし分らないことがあったにした所で、苦しく喘ぐ彼女の声を聞いて、それでどうなると云うんだ。 だが、私は彼女を救い出そうと決心した。 然し救うと云うことが、出来るだろうか? 人を救うためにはが唯一の手・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・これにてたいてい洋書を読む味も分り、字引を用い先進の人へ不審を聞けば、めいめい思々の書をも試みに読むべく、むつかしき書の講義を聞きても、ずいぶんその意味を解すべし。まずこれを独学の手始とす。かつまた会読は入社後三、四ヶ月にて始む。これにて大・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・人の心の事がなんでもお分かりになるあなたに伺ってみたら、それが分かるかも知れません。わたくしこれまで手紙が上げたく思いましたのは、幾度だか知れません。それでいて、いざとなると、いつも大胆に筆を取ることが出来なくなってしまいました。今日は余り・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・るのに、貴方の下すったお手紙はわたしの心の中を光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中も夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令お手紙を上げたとて、虚が・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒左右に女ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないとうまくないという事で、私などの汁粉党には一向分りませんが、ゲーッアー愉快愉快。一歩は・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・「判りました。」「よろしい。」大将は云いながら三歩ばかり後ろに退いて、だしぬけに号令をかけました。「突貫」 楢夫は愕いてしまいました。こんな乱暴な演習は、今まで見たこともありません。それ所ではなく、小猿がみんな歯をむいて楢夫・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・愛と平和――それは今の経済学、哲学とかの学問で説明したり、解剖したりする論理としての論理でなく、皆の分かり切った常識として、人間の生活に自由なものとなって来たら、愉快なことだと思います。〔一九二五年六月〕・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
出典:青空文庫