・・・二、三人目に僕の所へ来たおじいさんだったが、聞いてみると、なんでも小松川のなんとか病院の会計の叔父の妹の娘が、そのおじいさんの姉の倅の嫁の里の分家の次男にかたづいていて、小松川の水が出たから、そのおじいさんの姉の倅の嫁の里の分家の次男の里で・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・その分家のやはり内田という農家に三人の男の子が生れた。総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 弟の細君の実家――といっても私の家の分家に当るのだが――お母さん、妹さん、兄さんなど大勢改札口の外で、改った仕度で迎いに出ていてくれた。自動車をやっているので、長兄自身大型の乗合を運転して、昔のままの狭い通りや、空濠の土手の上を通った・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・私なんぞは、男の、それも、すれっからしと来ているのでございますから、たかが華族の、いや、奥さんの前ですけれども、四国の殿様のそのまた分家の、おまけに次男なんて、そんなのは何も私たちと身分のちがいがあろう筈が無いと思っていますし、まさかそんな・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・そうして、数年前に分家したのである。英治さんは兄弟中で一ばん頑丈な体格をしていて、気象も豪傑だという事になっていた筈なのに、十年振りで逢ってみると、実に優しい華奢な人であった。東京で十年間、さまざまの人と争い、荒くれた汚い生活をして来た私に・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・それはK市ではなくてA村の姉の三男が分家している先からであった。平生は年賀状以外にほとんど音信もしないくらいにお互いに疎遠でいた甥の事は、堅吉の頭にどうしても浮かばなかったのであった。 しかしこう事実がわかってみると、堅吉の頭は休まる代・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・或は男子は分家して一戸の主人となることあるゆえ女子に異なりと言わんかなれども、女子ばかり多く生れたる家にては、其内の一人を家に置き之に壻養子して本家を相続せしめ、其外の姉妹にも同様壻養子して家を分つこと世間に其例甚だ多し。左れば子に対して親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ある大きな本家では、いつも旧の八月のはじめに、如来さまのおまつりで分家の子供らをよぶのでしたが、ある年その一人の子が、はしかにかかってやすんでいました。「如来さんの祭りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝ていて、毎・・・ 宮沢賢治 「ざしき童子のはなし」
・・・戦争で長男が奪われた時などは、これまでどうせ、分家をするものだとか養子に出るものだとか、という風に扱われていた次男、三男が全く逆に、長男の義務と負担とを負わされることになる例も多い。結婚や恋愛の問題さえも、長男の場合と、次男、三男の場合とで・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・ ――○―― 彼が帰朝以前から問題に成って居る、分家問題は、此の二三日に於てそのクライマックスに達した。 親達の意見は、物質的に保障のない、社会的に位置のない彼を真ともに世間に向けて生活するよりは、父の威を暗示し・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫