・・・この成分によって芸術の分類ができるかもしれない。コカイン芸術やモルフィン文学があまりに多きを悲しむ次第である。 コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いの効果であるかも・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・を聞くことによって、各地の潮汐のタイプをある度まで分類することができるかもしれない。あるいはまたこの方法によって、調和分析などにはかからない潮汐異常や、地方的固有振動を発見することもできるかもしれない。 またたとえばひと月じゅうの気圧の・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・この方面の研究者にとっては一つ一つの地震は単に一つ一つの算盤玉のようなものである、たとえ場合によっては地震の強度を分類する事はあっても、結局は赤玉と黒玉とを区別するようなものである。第二には地震計測の方面がある。この方面の専攻者にとっては、・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・ しかし、火山の爆発だけは、今にもう少し火山に関する研究が進んだら爆発の型と等級の分類ができて、きょうのはA型第三級とかきのうのはB型第五級とかいう記載ができるようになる見込みがある。 S型三六号の心中やP型二四七号の人殺しが新聞で・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ 博物館などのように青磁は青磁、楽は楽と分類的に陳列してあるのも結構ではあるが、しかしそういう器物の効果を充分に発揮させるようなモンタージュを見せてくれる展覧会などもたまにはあっていいかもしれない。もっとも茶会の記事などを見ると実際自分・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・とは事変るが、アインシュタインの相対性原理がまだ十分に承認されなかった頃、この所論に対する色々な学者の十人十色の態度を分類してみると、この『徒然草』第百九十四段の中の「嘘に対する人々の態度の種々相」とかなりまでぴったり当て嵌まるのは実に面白・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・のみならずこれらの分類は形式に属する分類であるから、専門として独立する価値があるかないかすでに疑問である。して見ると、つまりは純文学の批評家は純文学の方面に関するあらゆる創作を検閲して採点しつつある事になる。前例を布衍して云うと地理、数学、・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・例えば感覚的なものと超感覚的なものに分類する。その感覚的なものをまた眼で見る色や形、耳で聴く音や響、鼻で嗅ぐ香、舌でしる味などに区別する。かくのごとく区別されたものを、まただんだんに細かく割って行く。分化作用が行われて、感覚が鋭敏になればな・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・従来はギリシヤ論理から発達して、すべて分類的論理の形式が基となっていたのではなかろうか。 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ 以上は、まあ、ビジテリアンをその精神から大きく二つにわけたのでありますが、又一方これをその実行の方法から分類しますと、三つになります。第一に、動物質のものは全く喰べてはいけないと、則ち獣や魚やすべて肉類はもちろん、ミルクや、またそれか・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫