・・・そして経験によるとこの種の人々はその人生行路において切実な「別離」というものを味わった人々であることが多い。深い傷ましい「わかれ」は人間の心を沈潜させ敬虔にさせ、しみじみとさせずにはおかない。私は必ずしも感傷的にとはいわない。何故なら深い別・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・小説と社会との重要な関係点は、幾干も幾干も有るのでございまするが、小説中の人物と実社会の人物との関係と申す事は、取り分け重要であり、かつまた切実な点であることは申すまでもない事だと存じまするのでございます。 馬琴という人は、或る種類の人・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・地の底から遠く幽かに、けれどもたしかに誰かの切実の泣き声が聞えて来て、おそろしいのです。 そのほか私の日常生活に於いて変った事は、何もございません。すべてが、もとのままであります。心は、いつも動いているのですけれど。 あなたのところ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・の先生づら、承知、おとなしく、健康の文壇人になりましょう、と先生へおたより申し、よろしく御削除、御加筆の上、文芸賞もらった感想文として使って、など苦しいこともあり、これは、あとあとの、笑い話、いまは、切実のこと、わが宿の払い、家人に夏の着物・・・ 太宰治 「創生記」
・・・秀才、はざま貫一、勉学を廃止して、ゆたかな金貸し業をこころざしたというテエマは、これは今のかずかずの新聞小説よりも、いっそう切実なる世の中の断面を見せて呉れる。 私、いま、自らすすんで、君がかなしき藁半紙に、わが心臓つかみ出したる詩を、・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・遠い西洋の大学者の大研究よりも手近い日本の小学者の小研究の方が遥かに切実な印象を日本の生徒の頭脳に刻みつけるであろう。そうして生徒自身の研究慾を誘発するであろう。 日本の科学雑誌が色々ある、中には科学の抜殻だけを満載して中実は空虚なのも・・・ 寺田寅彦 「雑感」
・・・そういう検定方法は切実な要求さえあらばいくらでもできるはずであるのにそれが実際にはできていないとすれば、その責任の半分は無検定のものに信頼する世間にもないとは言われないような気がする。 私が断水の日に経験したいろいろな不便や不愉快の原因・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・差別の要点は記事の内容の現実性にあると考えてみても、読者自身に切実な交渉のない、しかもいわゆる定型のためにかえって真実性の希薄になった社会記事と、事実はどうでも人間の中身にいくらか触れている小説や風聞録との価値の相違はそう簡単には片付けられ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・一条の撚り糸を与えられてその長さを精密に測ろうと企てた人は、ここに述べた困難を切実に味わう事が出来ようと思う。約三尺の糸は測る度ごとに一分二分、時には寸余の相違を示すのである。それにもかかわらず三尺の糸と云えば吾人の頭脳には一定の観念を与え・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・よしその理想が実現できるにしてもこれを未来に待たなければならない訳であるから、書いてある事自身は道義心の飽満悦楽を買うに十分であるとするも、その実己には切実の感を与え悪いものである。これに反して自然主義の文芸には、いかに倫理上の弱点が書いて・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫