・・・二百八種もの民族語の新聞が刊行されるようになって来た。 僅か三パーセント位しかなかった小学校入学率は、全ソヴェト同盟の文化水準向上につれてドンドン多くなって来た。五ヵ年計画で八歳からの全国学齢児童の国庫負担による就学は、勿論、各民族共和・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・が続々刊行されはじめた。その一部として、アダム・ドミトリエフの『よし! 船をひけ』。別に、国内戦時代赤軍で働き有名な脚本「ラズローム」を書いたボリス・ラヴレーニェフの『斯うして防衛する』というバルチック艦隊の演習を記録した本が出版された。・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 日本プロレタリア文化連盟から刊行される日本で唯一つの階級的な婦人雑誌『働く婦人』の編輯には、他の文化団体からの参加とともに作家同盟に属す婦人作家たちが重大な役割を果しつつある。文学座談会、文学講習会、文学サークル等の活動で、婦人委員会・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・河合栄治郎の公判記録が、『自由に死す』というパンフレットになって刊行された。彼のような穏当な学究さえも彼の理性が超国家主義と絶対主義に服従しないで立っているという理由で起訴され裁判された。河合栄治郎が学者としての良心の最低線を守ろうとした抵・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・つづいて、小林多喜二全集の編輯は、実に周密、良心的に努力されていて、ただうりものとして現在刊行されている各種の全集類とは、まるで趣をことにした実質をもっていることを、当然のことながら新しい意義でそれぞれの心と行動の上にうけとる思いがある。直・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
・・・自分でも学術上に価値のある事業は、三十歳の時に刊行した亜細亜地図だと云っている。Jura へ行ったのも、英国で地学上の用務を嘱托せられて行ったのだ。亜米利加のタッカアなんぞはプルウドンの翻訳をしている位のもので、大した人物ではない。」 ・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・慶長四年の『孔子家語』、『六韜三略』の印行を初めとして、その後連年、『貞観政要』の刊行、古書の蒐集、駿府の文庫創設、江戸城内の文庫創設、金沢文庫の書籍の保存などに努めた。そうして慶長十二年には、ついに林羅山を召し抱えるに至った。家康がキリシ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
野上豊一郎君の『能面』がいよいよ出版されることになった。昨年『面とペルソナ』を書いた時にはすぐにも刊行されそうな話だったので、「近刊」として付記しておいたが、それからもう一年以上になる。網目版の校正にそれほど念を入れていたのである。そ・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・水野精一君たちの精密な実地踏査が始まったのもそのころで、その成果『雲岡石窟』十五巻の刊行が終わったのは、つい数年前のことである。これで雲岡遣蹟の紹介の仕事は完成したといってよいが、しかしそれは伊東博士が撮影して来られてから、半世紀たってのこ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
・・・先生の処女作が『善の研究』であり、その刊行がこの年よりもなお二年の後であるというようなことは、あとになって考えることであって、その当時はすでに四高における長い教歴を持った哲学者、すでにおのれの体系を築き上げた哲学者としてわたくしどもの眼に映・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫