・・・ 十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。 十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へ籠りとおしていた。ぼんやり机にもた・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・その秋大阪に住んでいるある作家に随筆を頼むと、〆切の日に速達が来て、原稿は淀の競馬の初日に競馬場へ持って行くから、原稿料を持って淀まで来てくれという。寺田はその速達の字がかつて一代に来た葉書の字とまるで違っていることに安心したが、しかし自分・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・来春は東京の実家へかえって初日を拝むつもりです。その折、お逢いできればと、いささか、たのしみにして居ります。良薬の苦味、おゆるし下さい。おそらくは貴方を理解できる唯一人の四十男、無二の小市民、高橋九拝。太宰治学兄。」 下旬・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「あなたは、初日を見なかったね?」 ――あたし、あなたの心持が、よくわかってよ、マーシャ。さちよのオリガが、涙声でそういうのが、廊下にまで聞えて来る。「素晴らしいね。」助七は、眼を細めて、「初日の評判、あなた新聞で読まなかったんです・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ わたくしが栄子と心易くなったのは、昭和十三年の夏、作曲家S氏と共に、この劇場の演芸にたずさわった時からであった。初日の幕のあこうとする刻限、楽屋に行くと、その日は三社権現御祭礼の当日だったそうで、栄子はわたくしが二階の踊子部屋へ入るの・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・九月一日初日の夜の演奏はたしか伊太利亜の人ウエルヂの作アイダ四幕であった。徐に序曲の演奏せられる中わたくしはやがて幕の明くのを見た。其の瞬間に経験した奇異なる心況は殆名状することの出来ないほど複雑なものであった。観客の言語服装と舞台の世界と・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜にな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・◎芝居のかえり。初日で十二時になるアンキーとかいう喫茶。バーの女給。よたもん。茶色の柔い皮のブラウズ。鼠色のスーとしたズボン。クラバットがわりのマッフラーを襟の間に入れてしまっている。やせぎすの浅黒い顔、きっちりとしてかりこんだ・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・「去年も来ましたが、から下手の下手でなし、この間、初日に、お徳さんが行ったちゅが去年のと顔が違う様だって云ってましたぞえ。「まあまあ、菊五郎の名だけ来るんですねえ。 婆さんは懸命に去年見た、お染久松の芝居を思い出して話し・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・の評価が強く求められているこの座談会として、そういう問題があの程度の、謂わばむこう意気で過ぎていることが私の注目をひいた次第です。 芸といえば、素朴な印象にこだわるようであるけれども、「群盗」の初日に滝沢氏の演じられた弟の独白の場面で、・・・ 宮本百合子 「一つの感想」
出典:青空文庫