・・・あれは僕が僕の利己心を満足させたいための主張じゃない。僕は愛をすべての上に置いた結果だったのだ。だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲しなければならない妻も気の毒に感・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・あの人の利己心を頼みにしている。いや、利己心が起させる卑しい恐怖を頼みにしている。だから私はこう云われるのだ。あの人はきっと忍んで来るのに違いない。…… しかし私自身を頼みにする事の出来なくなった私は、何と云うみじめな人間だろう。三年前・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・僕も、――僕は妻に対しては恐しい利己主義者になっている。殊に僕自身を夢の中の僕と同一人格と考えれば、一層恐しい利己主義者になっている。しかも僕自身は夢の中の僕と必しも同じでないことはない。僕は一つには睡眠を得るために、また一つには病的に良心・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・ わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じている。成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわた・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・同時に又奴隷に、暴君に、力のない利己主義者に変り出した。…… 前のホテルに帰ったのはもうかれこれ十時だった。ずっと長い途を歩いて来た僕は僕の部屋へ帰る力を失い、太い丸太の火を燃やした炉の前の椅子に腰をおろした。それから僕の計画していた長・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・そのことごとく利己的な、自分よがりなわがままな仕打ちが、その時の彼にはことさら憎々しく思えた。彼はこうしたやんちゃ者の渦巻の間を、言葉どおりに縫うように歩きながら、しきりに急いだ。 眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼はふと自・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・中には小さな利己的な潔癖から、自分の家へ友達を呼んで来るのを厭うような母親もあるが、そうしたことが、子供をして将来、個人主義者たらしめたり、会社へ出ても、他と共に協力の出来ぬ、憐れむべき人間にする結果となります。 これから教育は、家庭に・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ つぎに人性の千古の悩みである利己か、利他かの問題がある。利己主義には深い根拠があり合理的に、正直に思索するときには誰しも一応は利己主義に帰著するくらいのものである。むしろここから反転して利他主義に飛躍するのが道筋ともいえる。リップスの・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 人間は宿命的に利己的であると説くショウペンハウァーや、万人が万人に対して敵対的であるというホップスの論の背後には、やはり人間関係のより美しい状態への希求と、そして諷刺の形をとった「訴え」とがあるのである。 その意味において書物とは・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・前者は利己主義となり、後者は博愛心となる。 この二者は、古来氷炭相容れざるもののごとくに考えられていた。また事実において、しばしば矛盾もし、衝突もした。しかし、この矛盾・衝突は、ただ四囲の境遇のためによぎなくせられ、もしくは養成せられた・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫