・・・しかしそういう美徳の問題などはしばらくおいて、単に功利的ないし利己的の立場から考えても、少なくも電車の場合では、満員車は人に譲って、一歩おくれてすいた車に乗るほうが、自分のためのみならず人のためにも便利であり「能率」のいい所行であるように思・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・ジネストは情なしの利己主義者でございます。けちな圧制家でございます。わたくしは万事につけて、一足一足と譲歩して参りました。わたくしには自己の意志と云うものがございません。わたくしは持前の快活な性質を包み隠しています。夫がその性質を挑発的だと・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・人間らしい父と子の情愛の表現にさえ、彼等は生活のしきたりから殺伐な方法をとるしかなく、しかも、その殺伐さをとおして流露しようとする人間らしい父と子の心情を、彼等の支配者が利己と打算のために酷薄にふみにじる姿を描いている。けれども、当時の作者・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・イレーネの心に入ってきいてみれば、母の新しい良人に感じる憎悪を、お祖母さんが只一くちに利己主義だと云っているのをもしきいたとしたら、どんな悲しさに号泣することだろう。大人の世界の思いやりなさを憎むだろう。イレーネにすれば、利己主義と名をつけ・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ 此の潮流を人間は、箇人主義又は利己主義と云って居る。 私は、此の箇人主義、利己主義に大いなるものの歎嗟の吐息を聞いたのである。 此の声を聞き得たのは私一人のみかもしれない。 或る人々は、その様な事は誤った事だと、私の此れか・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・良人に愛され、母に愛され、その地上的愛の葛藤に苦しむよりは、相方が或強制を以て、人生を眺める方が、人格が深まるのかもしれないと云うような、稍々利己的な積極的解釈さえ加えて居たのである。 けれども、近頃、自分の心は、林町のことを思うと、暗・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・しかしあれは自我主義である。利己主義である。 利己主義は倫理上に排斥しなくてはならない。個人主義という広い名の下に、いろいろな思想を籠めておいて、それを排斥しようとするのは乱暴である。 無政府主義と、それといっしょに芽ざした社会主義・・・ 森鴎外 「文芸の主義」
・・・そうして旧来の自然科学的文化の代わりに理想主義的文化が、利己主義的国家の代わりに世界主義的国家が、力強く育ち始めるのである。 低級な戦争目的が世界的問題となるようなことは、その時にはもう起こらない。新しい世界人の関心事は人生の目的である・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
・・・そのために自己に対する不断の注意と警戒とを怠らなかった先生は、人間性の重大な暗黒面――利己主義――の鋭利な心理観察者として我々の前に現われた。 先生にとっては「正しくあること」は「愛すること」よりも重いのである。私はかつて先生に向かって・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・言い変うれば「利己」を脱して精神的自覚の上に立ち汝の義務をなし果たせというにある。しかるに外面に表われたる道徳は形式と因襲に伝えられてその精神を忘れ去った。 現代にもたとえば「家庭」のごとく比較的清きものがある。あの大きなストーブを囲み・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫