・・・ 甚太夫は喜三郎の話を聞きながら、天運の到来を祝すと共に、今まで兵衛の寺詣でに気づかなかった事を口惜しく思った。「もう八日経てば、大檀那様の御命日でございます。御命日に敵が打てますのも、何かの因縁でございましょう。」――喜三郎はこう云っ・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ 正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になった。そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕に・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ フレンチは最後の刹那の到来したことを悟った。今こそ全く不可能な、有りそうにない、嫌な、恐ろしい事が出来しなくてはならないのである。フレンチは目を瞑った。 暗黒の裏に、自分の体の不工合を感じて、顫えながら、眩暈を覚えながら、フレンチ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・云わば恋の創痕の痂が時節到来して脱れたのだ。ハハハハ、大分いい工合に酒も廻った。いい、いい、酒はもうたくさんだ。」と云い終って主人は庭を見た。一陣の風はさっと起って籠洋燈の火を瞬きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた。・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・編輯者は、私のこんな下手な作品に対しても、わざわざペエジを空けて置いて、今か今かと、その到来を待ってくれているのである。私はそれを知っているので、いかに愚劣な作品と雖も、みだりにそれを破棄することが出来ない。義務の遂行と言えば、聞えもいいが・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ともすると鎌首もたげようとする私の不眠の悲鳴を叩き伏せ、叩き伏せ、お念仏一ついまは申さず、歯を食いしばって小説の筋を考え、そうして、もっぱら睡眠の到来を期待しているのである。それは、なかなかの苦しさであった。謂わば、私は、眠りと格闘していた・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・必ず危機が到来する。王子と、ラプンツェルの場合も、たしかに、その懐姙、出産を要因として、二人の間の愛情が齟齬を来した。たしかに、それは神の試みであったのである。けれども王子の、無邪気な懸命の祈りは、神のあわれみ給うところとなり、ラプンツェル・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
山好きの友人から上高地行を勧められる度に、自動車が通じるようになったら行くつもりだといって遁げていた。その言質をいよいよ受け出さなければならない時節が到来した。昭和九年九月二十九日の早朝新宿駅中央線プラットフォームへ行って・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・十回目あたりからベーアのつけていた注文の時機が到来したと見えて猛烈をきわめた連発的打撃に今までたくわえた全勢力を集注するように見え、ようやく疲れかかったカルネラの頽勢は素人目にもはっきり見られるようになった。 第十一回目のラウンドで、審・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来した。科学的な仕事は技師技手に任せておけばよいというようなことになったのである。そうしてそれらの技術官は一国の政治の本筋に対・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫