・・・もちろん短歌の中には無季題のものも決して少なくはないのであるが、一首一首として見ないで、一人の作者の制作全体を通じて一つの連作として見るときには、やはり日本人特有の季題感が至るところに横溢していることが認められるであろうと思われる。 枕・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 連俳の特色はそれが多数の作者の共同制作となりうることである。漢詩の連句もそうであるがこれはむしろ多数が合して一人となるのが理想であるらしく見える。しかし俳諧連句では、いろいろの個性が交響楽を織り出すところに妙味がある。七部集の連句がお・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・現在のようなジャーナリズム全盛時代ではおそらく大多数のこうした種類の挿画や裏絵は執筆画家の日常の職業意識の下に制作されたものであろうと思うが、あの頃の『ホトトギス』の上記の画家のものはいかにも自分で楽しみながら描いたものだろうという気のする・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・ こういうものが如何なる時代に如何なる人の需めによって如何なる人によって制作されたかということは、色々な問題に聯関して研究さるべき興味ある題目となるであろうと思われる。 それにつけて想い出されるのは、仏教や耶蘇教の宗教画の中にも、こ・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・それは芭蕉とその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙」や「百韻」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオを発見することができるであろう。もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画のシナリオとして適切なもの・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・近ごろの言葉で言えば一種の共同制作によってできあがるものだということである。 漢詩でもたまには数人の合作になるものはあるようである。近ごろはひとつづきの小説を数人の作者が書き続けて行くのもあるようである。これらの場合その作者たちにとって・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・この板画の制作せられたのは明治十二三年のころであろう。当時池之端数寄屋町の芸者は新柳二橋の妓と頡頏して其品致を下さなかった。さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景・・・ 永井荷風 「上野」
・・・わたしは小説たる事を口実として、観察の不備を補うに空想を以てする事の制作上甚危険である事を知っている。それがため適当なるモデルを得るの日まで、この制作を中止しようと思い定めた。 わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必亡友井上唖・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・同情は芸術制作の基礎たるのみではない。人生社会の真相を透視する道も亦同情の外はない。観察の公平無私ならんことを希うのあまり、強いて冷静の態度を把持することは、却て臆断の過に陥りやすい。僕等は宗教家でもなければ道徳家でもない。人物を看るに当っ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 基本的な社会関係までを自分の問題としてとりあげる迫力がなく、しかも常に朗らかでばかりあり得ない気分の上でだけ新らしさを追求する結果、すでに映画制作者が巧みにも把えている古いものの新らしげな扮飾が、恋愛の技巧の上で横行する。互にまともな・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
出典:青空文庫