・・・ 絵そら事と俗には言う、が、絵はそら事でない事を、読者は、刻下に理解さるるであろう、と思う。「畜生。今ごろは風説にも聞かねえが、こんな処さ出おるかなあ。――浜方へ飛ばねえでよかった。――漁場へ遁げりゃ、それ、なかまへ饒舌る。加勢と来・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・に、その提出された仕事が問題の各方面を引っくるめた全体の上から見ると実に些末な価値しかないものと他の多くの人からは思われるものであっても、それが丁度、当該審査委員の正に求めている壷にはまり、その委員の刻下の疑団を氷解せしめるような要点に触れ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・そんな重大な役目を他人のために勤めたとは夢にも知らない虻は、ただ自分の刻下の生活の営みに汲々として、また次の花を求めては移って行くのである。自然界ではこのように、利己がすなわち利他であるようにうまく仕組まれた天の配剤、自然の均衡といったよう・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・すなわち公算曲線の山が唯一なりやという事が刻下の問題なり。さてすべての場合にこれは唯一なりや。然らざる場合は一般には多数あるべし。例えば馬の鞍の形をなせる曲面の背筋の中点より球を転下すれば、球の経路には二条の最大公算を有するものあるべし。ま・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・今電車の窓から日曜の街の人通りをのどかに見下ろしている刻下の心持はただ自分が一通りの義務を果してしまった、この間中からの仕事が一段落をつげたと云うだけの単純な満足が心の底に動いているので、過去の憂苦も行末の心配も吉野紙を距てた絵ぐらいに思わ・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・ ともかくも、こういう大切な観測事業をその日暮しその年暮しになりやすい恐れのある官僚政治の管下から完全に救出して、もう少し安定な国家の恒久的機関を施定することが刻下の急務ではないかと思われる。そうすれば凶作問題なども自ずから解決の途につ・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・のだが、自分は知名の文士の誰々の種の出所をちゃんと知っている、と云ったようなことを書きならべ、貴下の随筆も必ず何か種の出所があるだろうというようなことを婉曲に諷した後に、急に方向を一転して自分の生活の刻下の窮状を描写し、つまりは若干の助力に・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・しかしそこまで追究するのは刻下の問題ではない。 ここでは私もあらゆる政治欄社会欄等の記事の内容がすべての種類の読者に絶対的必要なものであると仮定する。そういう仮定のもとに新聞全廃の実験を遂行するとすれば、必然の結果として、何か日刊新聞に・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・これは、深く考えてみなければならない刻下の重大な問題である。 十一 排日案に対して、フィルムや、化粧や、耳かくしのボイコットが問題になっている。 ところが先頃ゴビの沙漠の砂の中から地質時代の大きな爬虫のデ・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・余は法学士である、刻下の事件をありのままに見て常識で捌いて行くよりほかに思慮を廻らすのは能わざるよりもむしろ好まざるところである。幽霊だ、祟だ、因縁だなどと雲を攫むような事を考えるのは一番嫌である。が津田君の頭脳には少々恐れ入っている。その・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫