・・・ 或とき彼は、自分の顔を剃る理髪人が、「おれはあの暴君の喉へ毎朝髪剃りをあてるのだぞ。」と言って、人に威張ったという話をきき、すっかり気味をわるくしてその理髪人を死刑にしてしまいました。そして、それからというものは、もう理髪人をかか・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・風呂へ入って、悠々と日本剃刀で髯を剃るんだ。傷一つつけたことが無い。俺の髯まで、時々剃られるんだ。それで帰って来たら、又一仕事だ。落ちついたもんだよ。」 これも亦、嘘であります。毎晩、私が黙って居ても、夕食のお膳に大きい二合徳利がつけて・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ このごろ私は、毎朝かならず鬚を剃る。歯も綺麗に磨く。足の爪も、手の爪も、ちゃんと切っている。毎日、風呂へはいって、髪を洗い、耳の中も、よく掃除して置く。鼻毛なんかは、一分も伸ばさぬ。眼の少し疲れた時には、眼薬を一滴、眼の中に落して、潤・・・ 太宰治 「新郎」
・・・何千回、何万回という経験が、この老人に鏡なしで手さぐりで顔の鬚をらくらくと剃ることを教えたのだ。こういう具合の経験の堆積には、私たち、逆立ちしたって負けである。そう思って、以後、気をつけていると、私の家主の六十有余の爺もまた、なんでもものを・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・かつて筆者が不精で顋鬚を剃るのを怠っているのを見付けた時「あごひげなんか延ばして大家になっちゃ駄目だぞ」と云った事を記憶する。この辛辣にして愉快なる三十棒の響きは今にして筆者の耳に新たなるものがある。ちなみに君は生涯髭を蓄えず頭も五分刈であ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ マレイ語で頭髪を剃るのは chukor であり女の髪を剃るのが tokong である。また蘭領インドでは「店」が toko である。 マレイの理髪師は tukang chukor また tukang gunting である。 ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・髯を剃るといいと露子が云ったのだが全体の髯の事か顋髯だけかわからない。まあ鼻の下だけは残す事にしようと一人できめる。職人が残しましょうかと念を押すくらいだから、残したって余り目立つほどのものでもないにはきまっている。「源さん、世の中にゃ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・毎朝髭を剃るんでね、安全髪剃を革砥へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来て御覧」 看護婦はただへええと云った。だんだん聞いて見ると、○○さんと云う患者は、ひどくその革砥の音を気にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問し・・・ 夏目漱石 「変な音」
出典:青空文庫