・・・個人が社会と戦い、青年が老人と戦い、進取と自由が保守と執着に組みつき、新らしき者が旧き者と鎬を削る。勝つ者は青史の天に星と化して、芳ばしき天才の輝きが万世に光被する。敗れて地に塗れた者は、尽きざる恨みを残して、長しなえに有情の人を泣かしめる・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 崖はそもそも波というものの世を打ちはじめた昔から、がッきと鉄の楯を支いて、幾億尋とも限り知られぬ、潮の陣を防ぎ止めて、崩れかかる雪のごとく鎬を削る頼母しさ。砂山に生え交る、茅、芒はやがて散り、はた年ごとに枯れ果てても、千代万代の末かけ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・厳しゅうて笛吹は眇、女どもは片耳殺ぐか、鼻を削るか、蹇、跛どころかの――軽うて、気絶……やがて、息を吹返さすかの。」「えい、神職様。馬蛤の穴にかくれた小さなものを虐げました。うってがえしに、あの、ご覧じ、石段下を一杯に倒れた血みどろの大・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・肉を殺いで、骨を削るのです。ちっとの間御辛抱なさい」 臨検の医博士はいまはじめてかく謂えり。これとうてい関雲長にあらざるよりは、堪えうべきことにあらず。しかるに夫人は驚く色なし。「そのことは存じております。でもちっともかまいません」・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・そこは、外には、骨を削るような労働が控えている。が、家の中には、温かい囲炉裏、ふかしたての芋、家族の愛情、骨を惜まない心づかいなどがある。地酒がある。彼は、そういうものを思い浮べた。――俺だって誰れも省みて呉れん孤児じゃないんだ! それを、・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・「時間を減らして、その代りあまり必須でない科目を削るがいい。『世界歴史』と称するものなどがそれである。これは通例乾燥無味な表に詰め込んだだらしのないものである。これなどは思い切って切り詰め、年代いじりなどは抜きにして綱領だけに止めたい。・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・むしろ非常にさびしい感じばかりして、そのころから自分は次第にわれとわが身を削るような、憂鬱な空想にふけるようになってしまった。自分が不治の病を得たのもこのころの事であった。 三 栗の花 三年の間下宿してい・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 衰えは春野焼く火と小さき胸を侵かして、愁は衣に堪えぬ玉骨を寸々に削る。今までは長き命とのみ思えり。よしやいつまでもと貪る願はなくとも、死ぬという事は夢にさえ見しためしあらず、束の間の春と思いあたれる今日となりて、つらつら世を観ずれば、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・第一爪をはがす鑿と、鑿を敲く槌と、それから爪を削る小刀と、爪を刳る妙なものと、それから……」「それから何があるかい」「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬のおとなしいには驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気で・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ちょっと待った。」画かきはとめました。「鉛筆が折れたんだ。ちょっと削るうち待ってくれ。」 そして画かきはじぶんの右足の靴をぬいでその中に鉛筆を削りはじめました。柏の木は、遠くからみな感心して、ひそひそ談し合いながら見て居りました。そこで・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
出典:青空文庫