・・・第百三十七段の前半を見れば、心の自由から風流俳諧の生まれる所以を悟ることが出来よう。 このような思想はまた一面において必然的に仏教の無常観と結合している。これは著者が晩年に僧侶になったためばかりでなく大体には古くからその時代に伝わったも・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・ ついでながら、揺れる電車やバスの中で立っているときの心得は、ひざの関節も足首の関節も柔らかく自由にして、そうして心もちかかとを浮かせて足の裏の前半に体重をもたせるという姿勢をとるのだそうである。大地震の時に倒れないように歩くのも同じ要・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・それでこういう際はかかとを浮かして足の裏の前半に体重を託してあるけば安全だということを発明したわけである。人造石がかわいている場合にはもちろんすべる心配はない。たぶん適当な軟泥の層をかぶっている事が条件であるらしい。しかしもしも軟泥の層が単・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・「そうさな、前半は唄のつもりでもなかったんだが、後半に至って、つい唄になってしまったようだ」「屋根にかぼちゃが生るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」「また慷慨か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きも・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ また一九四一年にはいってからは、ほんの断片的な執筆しかなくて、それも前半期以後は全く途絶えてしまっているのは、一九四一年の一月から太平洋戦争を準備していた権力によってはげしい言論抑圧が進行し、宮本百合子の書いたものは、批判的であり、非・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・は、作者にとって、作家生活の前半期のピリオドとなった作品である。「貧しき人々の群」から、さまざまな小道に迷いこみながら「伸子」に到達し、それから比較的滑らかにいくつかの短篇をかき、やがてそういう滑らかさの反復に作家として深い疑いを抱きだした・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・は、私たち素人の目では、前半、後半とテーマがわかれていた感じである。文芸映画としてのよりどころは、後半にあったと思うが、後半での妻の演技的迫力がもう一つ足りなかったので、誠意はあるにかかわらず心理的な動きのボリュームが減った。 この頃は・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・勿論台本がああなっていたのだろうが、前半の写実風を一貫させるなら、深草少将の身代りに、口惜しさのあまり「そなたと契ろうよ」とかなり正面から哀切にゆき、身代りがあわてふためき覆面をかなぐりすて、「やつがれは六十路を越したる爺にて候」と・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・知られているとおり、ウィルヘルム二世はビスマークの扶けをもって、正義と皇帝の絶対権とを結びつけて人民にのぞんだが、十九世紀前半のその頃の欧州は近代社会の経済事情の飛躍とともにウィルヘルム、ビスマークのその政治につよく反対していた。文学におい・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
出典:青空文庫