・・・菊池なぞは勿論、前者に属すべき芸術家で、その意味では人生のための芸術という主張に縁が近いようである。 菊池の小説も、菊池の生活態度のように、思切ってぐん/\書いてある。だから、細かい味なぞというものは乏しいかも知れない。そこが一部の世間・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・万人に正確だと認められている無数の史料か、あるいは今見て来た魁偉な老紳士か。前者を疑うのが自分の頭を疑うのなら、後者を疑うのは自分の眼を疑うのである。本間さんが当惑したのは、少しも偶然ではない。「君は今現に、南洲先生を眼のあたりに見なが・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・従って後者は前者よりも一層悲劇的に終ったのである。 ストリントベリイ 彼は何でも知っていた。しかも彼の知っていたことを何でも無遠慮にさらけ出した。何でも無遠慮に、――いや、彼も亦我我のように多少の打算はしていたであろう。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・もし前者だとすると堺氏はいかにも労働者の立場に立っているのであり、後者だとすると堺氏といえども労働者の立場に立っているとは僕には思われない。今度は「運動に参加する」という言葉だ。堺氏はこれまで長い間運動に参加した人である。誰でもその真剣な努・・・ 有島武郎 「片信」
・・・それはその当時においては前者の反動として認められた。個人意識の勃興がおのずからその跳梁に堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠を得ていない。なぜなればそこにはただ方法と目的の場所との差違があるのみである。自力によって既成の中に・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・仲に立った僕は時に前者に、時に後者に、同情を寄せながら、三人の食事はすんだ。妻が不断飲まない酒を二、三杯傾けて赤くなったので、焼け酒だろうと冷かすと、東京出発前も、父の家でそう心配ばかりしないで、ちょッと酒でも飲めと言われたのをしおに、初め・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・蒙求風に類似の逸話を対聯したので、或る日の逸話に鴎外と私と二人を列べて、堅忍不抜精力人に絶すと同じ文句で並称した後に、但だ異なるは前者の口舌の較や謇渋なるに反して後者は座談に長じ云々と、看方に由れば多少鴎外を貶して私を揚げるような筆法を弄し・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・というようなのがあった。前者は万年博士が標準語に関する大論文を発表した際で、標準語という言葉がその頃の我々の仲間の流行語となっていた。また誰かの論文中“Chopin”をチョピンと書いてあったので、「チヨピンとはおれが事かとシヨパン云ひ」とい・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ ナロード主義が、空想的であって、マルクス主義が科学的である故に、前者に、大衆を獲得する力がないといって、貶することができるであろうか。 その時代の民衆作家は、みなナロードの精神を有していた。彼等は、親しく、農村の生活を観察したるに・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・これがためには、ただちに自己を破壊しさってくやまない、かえりみないのも、また自然の傾向である。前者は利己主義となり、後者は博愛心となる。 この二者は、古来氷炭相容れざるもののごとくに考えられていた。また事実において、しばしば矛盾もし、衝・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫