・・・私は考えるに、ギリシャ哲学には深い思索的な概念的な所と、美しい芸術的な、直感的な所があった。前者はドイツ人がこれを伝え、後者はフランス人がこれを伝えたといい得るではなかろうか。 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・その句また 尾張より東武に下る時牡丹蘂深くわけ出る蜂の名残かな 芭蕉 桃隣新宅自画自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜 同等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて拙きものなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ どちらが好いか悪いかと云う事は別として、どうしてそう云う気分になって来るかと云うと、前者は、美に対する執着なり要求が少ないので、後者になると、絶えず美に対する渇仰が心に湧いて居るのである。 美を要求すると云う事は、人性の自然だなど・・・ 宮本百合子 「雨滴」
・・・武田麟太郎が市井の現実にまびれることを新しい人間性発見への小路としたのとは異って、広津和郎のこの思想は、いわば前者が現実にまびれゆくという自身の意図に我から壮とする身振りをもじっと眺めてゆこうとする態度である。けれども、この結論を急がぬ探究・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・限られた枚数の中で、詳細にふれることは不可能であるが、前者において、われわれがそれをこそイタリーとはちがう日本の特殊な資本主義発達の歴史の性質を示すところの日本のファッシズムの実相であると理解している社会的政治的現象を、村松五郎氏は、「本質・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・悲しい事に、今日東京に住む私共は、全然野生に放置された自然か、或は厭味にこねくられた庭か、而も前者はごく稀れにしか見られないと云う不運にあるのだ。 ジョージ・ギッシングは、非常に困難な一生を送り、芸術家としても決して華やかな生涯は経・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・だが、官能的表徴は客観によりて主観的制約を受けるが故に清澄性故の直接清澄を持つほど貴重である。前者は立体的清澄を後者は平面的清澄を尊ぶ。新感覚が清少納言に比較して野蛮人のごとく鈍重に感じられると云うことは、清少納言の官能が文明人のごとく象徴・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・成長しないものと不断に力強く成長するものとの別があるのです。前者は自己を誇示して他人の前に優越を誇ります。後者は自己を鼓舞し激励するとともに、多くの悩み疲れた同胞を鼓舞し激励します。 あなたに愚痴をこぼしたあとでこんな事をいうのは少しお・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・さらに進んで、信仰を感覚的な歓喜と結びつけたことである。前者は奈良時代の生んだ偉大な芸術によって証明せられている。後者は、その時代の僧侶がいかに人間の肉体の上にも勢力を持っていたかを明示している二三の著しい社会的現象によって、いや応なしに証・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・また執拗な利己主義を窒息させなければやまない正義の重圧の気味悪い底力も、前者ほど突っ込んではないが、力を入れて描いてある。次の『道草』においても利己主義は自己の問題として愛との対決を迫られている。この作で特に目につくのは、主人公の我がいかに・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫