・・・若し夫れ識見を論ずれば必ずしも政治家に劣るものではない。且又利害を超越した情熱に富んでいることは常に政治家よりも高尚である。 事実 しかし紛紛たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かと・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・婿もりっぱな男だが、あの巡査にゃ一段劣る。もしこれがおまえと巡査とであってみろ。さぞ目の覚むることだろう。なあ、お香、いつぞや巡査がおまえをくれろと申し込んで来たときに、おれさえアイと合点すりゃ、あべこべに人をうらやましがらせてやられるとこ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・ すると、さすがに珍しい宝石だけあって、赤・緑・青・紫に輝いて、どれがほかのものより劣るということなく、見とれずにはいられなかったのであります。「南の国へさえ持ってゆけば、一つが幾百両にもなる品物ばかりだ。これをやるのは惜しい。こん・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・それは文芸の傑作に触れた感動にも劣るものではない。そしてその感染性とわれわれの人格教養の血肉となり、滋養となり、霊感とさえもなる力もまた文芸の作品に劣るものではない。ただ文芸には文芸の約束があり、倫理学にはその特殊の約束があるのみである。カ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 二十九日、市中を散歩するにわずか二年余見ざりしうちに、著しく家列びもよく道路も美しくなり、大町末広町なんどおさおさ東京にも劣るべからず。公園のみは寒気強きところなれば樹木の勢いもよからで、山水の眺めはありながら何となく飽かぬ心地すれど・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・をすぎてはほとんどダメで、いかなる強弩もその末は魯縞をうがちえず、壮時の麒麟も、老いてはたいてい駑馬にも劣るようになる。 力士などは、そのもっともいちじるしい例である。文学・芸術などにいたっても、不朽の傑作といわれるものは、その作家が老・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 死刑は最も忌わしく恐るべき者とせられて居る、然し私には単に死の方法としては、病死其他の不自然と甚だ択ぶ所はない、而して其十分な覚悟を為し得ることと、肉体の苦痛を伴わぬこととは他の死に優るとも劣る所はないかと思う。 左らば世人が・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・だいいち私が、諸君よりもなお数段劣る無学者である。書見など、いたしたことの無い男である。いつも寝ころんで読み散らしている、甚だ態度が悪い。だから、諸君もそのまま、寝ころんだままで、私と一緒に読むがよい。端坐されては困るのである。 ここに・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・だ、そのように三界に家なしと言われる程の女が、別にその孤独を嘆ずるわけでもなし、あくせくと針仕事やお洗濯をして、夜になると、その他人の家で、すやすやと安眠しているじゃないか、たいした度胸だ、君は女にも劣るね、人類の最下等のものだ、君だって僕・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・誰にも劣る。苦悩さえ、苦悩さえ、私のは、わけがわからない。つきつめて、何が苦しと言うならず。冗談よせ! 自動車は、やはり、湖の岸をするする走って、やがて上諏訪のまちの灯が、ぱらぱらと散点して見えて来た。雨も晴れた様子である。 滝の屋は、・・・ 太宰治 「八十八夜」
出典:青空文庫