・・・頑として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は十円を・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・演説をやらんで何を致しますかと伺うと、ただ出席してみんなに顔さえ見せれば勘弁すると云う恩命であります。そこで私も大決心を起して、そのくらいの事なら恐るるに及ばんと快く御受合を致しました。――今日はそう云う条件の下にここに出現した訳であります・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・左れば此一節は女大学記者も余程勘弁して末段に筆を足し、婦人の心正しければ子なくとも去るに及ばずと記したるは、流石に此離縁法の無理なるを自覚したることならん。又妾に子あらば妻に子なくとも去るに及ばずとは、元来余計な文句にして、何の為めに記した・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・たとい天稟の才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・然るに、生れて第一番の初学に五十韻とは、前後の勘弁なきものというべし。この事は七、八年前より余が喋々説弁する所なれども、かつてこれに頓着する者なし。近来はほとんど説弁にも草臥たれども、なおこれを忘るること能わず。最後の一発としてここにこれを・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・お話が古くなっていけないというので墨水師匠などはなるたけ新しい処を伺うような訳ですが手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒左右に女ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないと・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ そして芳子さんの前に坐ると、心から、「芳子さん、どうぞ勘弁して頂戴」と申しました。 学校で戴いた修業証書を見ていた芳子さんは、其の言葉と一緒に顔を上げました。「真個に――御免なさい、芳子さん、私、今まで沢山貴女にすまない事・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・私の怨みは忘れても、そればっかりは勘弁出来ない!」 ドミトリーに見つからないようにかくしておいた聖母像までもち出して、グラフィーラは拝もうとした。が結局こんな絵が何のたしになる!「ひょっとしたら、これでミーチャは私に愛想をつかしたん・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ 台所の土間に土下座をするようにして、顔もあげ得ずまごつきながら、四俵のはずのところを二俵で勘弁してくれと云う禰宜様宮田を、上の板の間に蹲踞んで見下していた年寄りは、思わず、「フム、フム」とおかしな音をたてて鼻を鳴らしたほど、い・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・それで不断の肝癪は全く迹を斂めて、何事をも勘弁するようになっていた。 翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家のその時の当主松平石見守乗穏が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入った。これで伊織、七五郎の兄弟は同・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫