・・・その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・人間の哀れな敗残の跡を物語る畑も、勝ちほこった自然の領土である森林も等しなみに雪の下に埋れて行った。一夜の中に一尺も二尺も積り重なる日があった。小屋と木立だけが空と地との間にあって汚ない斑点だった。 仁右衛門はある日膝まで這入る雪の中を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後巫女は、水飴と荒物を売り、軒に草鞋を釣して、ここに姥塚を築くばかり、あとを留めたのであると聞く。 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 午後は奈々子が一昼寝してからであった、雪子もお児もぶらんこに飽き、寝覚めた奈々子を連れて、表のほうにいるようすであったが、格子戸をからりあけてかけ上がりざまに三児はわれ勝ちと父に何か告げんとするのである。「お父さん金魚が死んだよ、・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには世間が解り過ぎていた。ツマリ二葉亭の風格は小説家とも政治家とも君子とも豪傑とも実際家とも道学先生とも何とも定められなかった。 社交的応酬は余り上手でなかったが、慇懃謙遜な言葉に誠意・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・或は、貧しい家に生れて、常に不足勝ちに育った子供等の中でも、こうした種類の童話を喜ぶものがあるかもしれない。けれど、私は、そうした金殿玉楼に住んで、人生の欲望に満足し、また自分の善いことをした行為が酬いられて栄達を遂げたような童話を書こうと・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・ 青年は、また勝ちみがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。 小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送ってきました。 冬は・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄がまだ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。 その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村・・・ 織田作之助 「雨」
・・・一つ会社に十何年間かこつこつと勤め、しかも地位があがらず、依然として平社員のままでいる人にあり勝ちな疲労がしばしばだった。橋の上を通る男女や荷馬車を、浮かぬ顔して見ているのだ。 近くに倉庫の多いせいか、実によく荷馬車が通る。たいていは馬・・・ 織田作之助 「馬地獄」
出典:青空文庫