・・・においても優るとも劣らぬばかりでなく「質」においても更に怖ろしいものではあるまいか。 こういう芸術上のグロテスクな傾向が、循環的に吾々の倫理思想や人生観に与える反応はどんなものであろうか。これもその方面の人々の深く考えてみるべき問題の一・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・それでも講義の時の口調で「これではブラックホールの苦しみに優るとも劣ることはない」といって生徒を笑わせた。当時マコーレーのクライヴ伝を講じていて、ブラックホールの惨劇が一同の記憶に新鮮であったのである。 酷寒の季節に酷暑に遭った例がある・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・日本の旅館にはそれに優るとも敢て劣らぬ同じ蒲団の気味悪さに、便所とそれから毎朝顔を洗う流し場の不潔が景物として附加えられてある。 便所の事はいうまい。もしこれが自分の家であったら、見知らぬ人に寝起のままの乱れた髪や汚れた顔を見せずとも済・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・茵に充るに堪う葭短不レ碍レ舸 葭は短く舸も碍げず撥二百冗一以遊 百冗を撥りて以て遊ぶ 中略 中略清和属二首夏一 清和は首夏に属す境勝固天真 境の勝ることは固より天真にして芳葩及外仮・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・紅雨は生涯忘れない美的感激の極度を経験したと信ずる巴里の有名なる建築物に対した時の心持に思い較べて、芝の霊廟はそれに優るとも決して劣らぬ感激を与えてくれた事を感謝した。そればかりでなく、彼はまた曲線的なるゴチック式の建築が能くかの民族の・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・淋しさは音なき時の淋しさにも勝る。恐る恐る高き台を見上げたる行人は耳を掩うて走る。 シャロットの女の織るは不断のはたである。草むらの萌草の厚く茂れる底に、釣鐘の花の沈める様を織るときは、花の影のいつ浮くべしとも見えぬほどの濃き色である。・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・すれば孝ならず、やむなくんば退却か落車の二あるのみと、ちょっとの間に相場がきまってしまった、この時事に臨んでかつて狼狽したる事なきわれつらつら思うよう、できさえすれば退却も満更でない、少なくとも落車に優ること万々なりといえども、悲夫逆艪の用・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・この必要条件を具備しない国家的保護と奨励とはなきに優ると寛仮するよりも、むしろあるに劣ると非難する方が当然である。 作物の現状と文士の窮状とは既に上説の如くであって、ここに保護のために使用すべき金が若干でもあるとすれば、それを分配すべき・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・また老人が長々病気のとき、其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親子の真面目を現わす所にして、其間に心置なく遠慮なきが故なり。其遠慮なきは即ち親愛の情の濃なるが故なり。其愛情は不言の間に存して天下の親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・田舎の食物の粗なるは勿論のことなれども、田舎の物を食して田舎風に運動遊戯すれば、身体に利する所は都会の美食に勝るものあるが故なり。左れば小児を丈夫に養育せんとならば、仮令い巨万の富あるも先ず其家を八瀬大原にして、之に生理学問上の注意を加う可・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫