・・・洪水には荒れても、稲葉の色、青菜の影ばかりはあろうと思うのに、あの勝山とは、まるで方角が違うものを、右も左も、泥の乾いた煙草畑で、喘ぐ息さえ舌に辛い。 祖母が縫ってくれた鞄代用の更紗の袋を、斜っかいに掛けたばかり、身は軽いが、そのかわり・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・あっこはもう勝山でござります、ヘイ」「じいさん、どうだろう雨にはなるまいか」「ヘイ晴れるとえいけしきでござります、残念じゃなあ、お富士山がちょっとでもめいるとえいが」「じいさん、雨はだいじょぶだろうか」「ヘイヘイ、耳がすこし・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・瞳を温泉へ連れて行った。十日経って大阪へ帰った。瞳を勝山通のアパートまで送って行き、アパートの入口でお帰りと言われて、すごすご帰る道すうどんをたべ、殆んど一文無しになって、下味原の家まで歩いて帰った。二人の雇人は薄暗い電燈の下で、浮かぬ顔を・・・ 織田作之助 「雪の夜」
出典:青空文庫