・・・が、彼女は勤めを離れて、心から求馬のために尽した。彼も楓のもとへ通っている内だけ、わずかに落莫とした心もちから、自由になる事が出来たのであった。 渋谷の金王桜の評判が、洗湯の二階に賑わう頃、彼は楓の真心に感じて、とうとう敵打の大事を打ち・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕についたまま母上には冷たい覚悟を微笑に云わして静かに私を見た。そこには死に対する Resignation・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・を書いたのは、この前年であるから、ちょうど一年振りで、二度の勤めをしている訳である。 そこでしばらく立って読んで見ていると、校正の間違いなども大分あるようだから、旁々ここに二度の勤めをするこの小説の由来も聞いてみたし、といって、まだ新聞・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を務めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「あなたはどこにお勤めでしたの?」とは、お袋が異様な問いであった。「わたしはそんな苦労人じゃアございませんよ」と、僕の妻は顔を赤くして笑った。「そりゃア、これまでにも今度のようなことがあったし、またいろんな芸者をつれ込んで来られたこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・将軍家大奥の台一式の御用を勤めるお台屋の株を買って立派な旦那衆となっていた。天保の饑饉年にも、普通の平民は余分の米を蓄える事が許されないで箪笥に米を入れて秘したもんだが、淡島屋だけは幕府のお台を作る糊の原料という名目で大びらに米俵を積んで置・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・和尚さまは、どんな日でもお勤めを怠られたことはありません。赤犬も、お経のあげられる時分には、ちゃんときて、いつものごとく瞼を細くして、お経の声を聞いていました。 お寺の境内には、幾たびか春がきたり、また去りました。けれど、和尚さまと犬の・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・そこへもって来て、勤めがえらい。蒼い顔して痩せおとろえてふらふらになりよる。まるでお化けみたいになりよる。それが、夜なかに人の寝静まった頃に蒲団から這いだして行燈の油を嘗めよる。それを、客が見て、ろくろ首や思いよったんや。それも無理のないと・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ほんの弟の勤めさきの関係者二三、それに近所の人たちが悔みを言いに来てくれたきりだった。危篤の電報を石ノ巻にいる義兄へだけ打ったが、それは七月十一日の晩で、十二日の午後姉夫婦が駆けつけ、十三日の朝父は息を引取った。葬式の通知も郷里の伯母、叔父・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・は老眼に眼鏡かけながら暇さえあれば片っ端より読まれ候てなるほどなるほどと感心いたされ候ことに候、右等の事情より自然未熟なる妻の不注意をはなはだ気にしたもうという次第しかるに妻はまた『母さまそれは「母の務め」の何枚目に書いてありました』などと・・・ 国木田独歩 「初孫」
出典:青空文庫