・・・「そりゃ勿論御礼をするよ」 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」 婆さんは三百弗の小切手を・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・その日の酒は勿論彼れを上機嫌にした。一緒に飲んでいるものが利害関係のないのも彼れには心置きがなかった。彼れは酔うままに大きな声で戯談口をきいた。そういう時の彼れは大きな愚かな子供だった。居合せたものはつり込まれて彼れの周囲に集った。女まで引・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ その年即ち二十七年、田舎で窮していた頃、ふと郷里の新聞を見た。勿論金を出して新聞を購読するような余裕はない時代であるから、新聞社の前に立って、新聞を読んでいると、それに「冠弥左衛門」という小説が載っている。これは僕の書いたもののうちで・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・勿論世間に茶の湯の宗匠というものはいくらもある。女子供や隠居老人などが、らちもなき手真似をやって居るものは、固より数限りなくある、乍併之れらが到底、真の茶趣味を談ずるに足らぬは云うまでもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どう・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・之に応じて、当の目あてからは勿論、盤龍山、鷄冠山からも砲弾は雨、あられと飛んで来た。ひかって青い光が破裂すると、ぱらぱらッと一段烈しう速射砲弾が降って来たんで、僕は地上にうつ伏しになって之を避けた。敵塁の速射砲を発するぽとぽと、ぽとぽとと云・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・人の評判によると夏目さんの作は一年ましに上手になって行くというが、私は何故だかそうは思わない、といって私は近年は全然読まないのだから批評する資格は勿論ないのである。 新聞記事などに拠って見ると、夏目さんは自分の気に食わぬ人には玄関払いを・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・ 心の清き者は福なり、何故なればと云えば其人は神を見ることを得べければなりとある、何処でかと云うに、勿論現世ではない、「我等今鏡をもて見る如く昏然なり、然れど彼の時(キリストの国の顕には面を対せて相見ん、我れ今知ること全からず、然れど彼・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・これ等の統一的な芸術にあっては、はじめより、大衆に共通する趣味、興味、感情、思想等を標準とし、普遍性を指標とするを特色とする。勿論その中には、郷土的色彩のあるものもあるけれど、要するにそれ等の認識、発見に目的があるのでなくして、一般の娯楽に・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・ 勿論、警察の手入れはある。主食と闇煙草の販売を弾圧する旨の声明は、わざわざ何月何日よりと予告を発して、これまで十数回発表されたし、抜打ちの検挙も行われる。が依然として、街頭のパンやライスカレーは姿を消さず、また、梅田新道の道の両側は殆・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 彼にただ一つの残っている空想というのは、彼がその寡婦と寝床を共にしているとき、ふいに起こって来る、部屋の窓を明け放してしまうという空想であった。勿論彼はそのとき、誰かがそこの崖路に立っていて、彼らの窓を眺め、彼らの姿を認めて、どんなに・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫