・・・これがいかなる天魔の化身か、おれを捉えて離さぬのじゃ。おれの一生の不仕合わせは、皆あの女がいたばかりに、降って湧いたと云うても好い。女房に横面を打たれたのも、鹿ヶ谷の山荘を仮したのも、しまいにこの島へ流されたのも、――しかし有王、喜んでくれ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・――どんな拍子かで、ひょいと立ちでもした時口が血になって首が上へ出ると……野郎でこの面だから、その芸妓のような、凄く美しく、山の神の化身のようには見えまいがね。落ち残った柿だと思って、窓の外から烏が突つかないとも限らない、……ふと変な気がし・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・たといきさまが、観音様の化身でも、寝ちゃならない、こら、行けというに」 三「伯父さんおあぶのうございますよ」 半蔵門の方より来たりて、いまや堀端に曲がらんとするとき、一個の年紀少き美人はその同伴なる老人の蹣跚・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・実に、子供の眼には、お母さんは、人間性そのものゝ化身の如く感ぜられるのです。お母さんの善いところは、汲んでも、汲み尽されない、その愛情にあります。お母さんは、子供のためなら、どんな苦しいことでも、厭といわれたことはない。正しくさえあれば、必・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・彼はただ現在の寿子を、自分の音楽への情熱の化身と思いたかったのである。 しかし、こんな庄之助の言い方は、相手を気まずい気持にさせた。おまけに、相手が寿子の演奏会やレコード吹き込みの話を持ち出すと、庄之助は自分から演奏料の金額を言い出して・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・をいただく高峰』の句に至りて、その声ひときわ高く、その目は遠く連山の方を見やりて恋うるがごとく、憤るがごとく、肩に垂るる黒髪風にゆらぎ昇る旭に全身かがやけば、蒼空をかざして立てる彼が姿はさながら自由の化身とも見えにき。・・・ 国木田独歩 「星」
・・・、夫の同僚といまわしい関係を結び、ついには冬の一夜、燈台の頂上から、鳥の翼の如く両腕をひろげて岩を噛む怒濤めがけて身を躍らせたという外国の物語があるけれども、この細君も、みずからすすんで、かなしい鴎の化身となってしまったのであろう。なんとも・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビジテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・「思いつめるということが、よい方面に向えば勢い熱情となり立派な仕事をなしとげるのですが、一つあやまてば、人をのろう怨霊の化身となる――女の一念もゆき方によっては非常によい結果と、その反対の悪い結果を来すものです」 女学生への訓話・・・ 宮本百合子 「「青眉抄」について」
・・・なつかしい故郷の化身のように生々と自分の前に現れた淑貞も、自分と同じようにここで孤独なのだ、ということを。天錫の純潔な心の苦痛は、彼がニューイングランドの人々にとっていつも一人の「中国の模範青年」であることであった。中国から帰って来た教育家・・・ 宮本百合子 「春桃」
出典:青空文庫