・・・小立野の高台から見はらす北国の青白い空には変りはないが、何十年昔のこととて、街は大分変っているように思われた。ユンケル氏はその後一高の方へ転任せられ、もう大分前に故人となられた。エスさんも、その後何処に行かれたか。その頃私より少し年上であっ・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・私は北国の一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮した。十三、四歳の時、小姉に連れられて金沢に出て、師範学校に入った。村では小学校の先生程の学者はない、私は先生の学校に入ったのである。然るに幸か不幸か・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・終りに宗祖その人の人格について見ても、かの日蓮上人が意気冲天、他宗を罵倒し、北条氏を目して、小島の主らが云々と壮語せしに比べて、吉水一門の奇禍に連り北国の隅に流されながら、もし我配所に赴かずんば何によりてか辺鄙の群類を化せんといって、法を見・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・暗鬱な北国地方の、貧しい農家に生れて、教育もなく、奴隷のような環境に育った男は、軍隊において、彼の最大の名誉と自尊心とを培養された。軍律を厳守することでも、新兵を苛めることでも、田舎に帰って威張ることでも、すべてにおいて、原田重吉は模範的軍・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・春の北国の重い雪解水がそこから滴っている。荒々しい淋しい心のひきむしられる眺めであった。二年後に、その屋根はすっかりガラスが嵌めこまれて新しいものになった。ライラック色のルバシカに金髪を輝やかした青年と、黒い上着を着て白っぽいハンティングを・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・けれども決して、北国の樹のように太短くはない、太ければ太いだけ梢を高く高く冲している。それらが房々青葉をつけて輝いている。いかにも軽やかに、明るい。大分臼杵という町は、昔大友宗麟の城下で、切支丹渡来時代、セミナリオなどあったという古い処だが・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・お前の裡には慕しい我北国の田園も日に戦ぐユーカリの葉もある。野に還し、不思議な清澄への我ノスタルジアを癒して呉れるのはお前の見えない心の扉ばかりだ。無限の世界の上にただ ひとひら軽く ふわりと とどま・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・スーザンが、大理石にむかってニューヨークの街に溢れる群集の中からニグロの女をとらえて彫り、北国の老婆をとらえて彫って、尨大な独特なものをつくってゆくとき、ブレークは、軽い土の塑像を、才走って、奇矯にこしらえてゆく。 スーザンが仕事に規則・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・主人太郎兵衛は船乗りとは言っても、自分が船に乗るのではない。北国通いの船を持っていて、それに新七という男を乗せて、運送の業を営んでいる。大阪ではこの太郎兵衛のような男を居船頭と言っていた。居船頭の太郎兵衛が沖船頭の新七を使っているのである。・・・ 森鴎外 「最後の一句」
このデネマルクという国は実に美しい。言語には晴々しい北国の音響があって、異様に聞える。人種も異様である。驚く程純血で、髪の毛は苧のような色か、または黄金色に光り、肌は雪のように白く、体は鞭のようにすらりとしている。それに海・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫