・・・と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただお君さんがベエトオフェンだと思っているだけで、実は亜米利加の大統領ウッドロオ・ウイルソンなのだから、北村・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ 明治の文人中、国木田独歩君の生涯は面白かった。北村透谷君の一生もまた極めて興味がある。が、二葉亭の一生はこれらの二君に比べると更に一層意味のある近代的の悶えと艱みの歴史であった。 内田魯庵 「二葉亭四迷」
北村透谷君の事に就ては、これまでに折がある毎に少しずつ自分の意見を発表してあるから、私の見た北村君というものの大体の輪廓は、已に世に紹介した積りである。北村君の生涯の中の晩年の面影だとか、北村君の開こうとした途だとか、そう・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・十一月号所載、北村謙次郎の創作、「終日。」絶対の沈黙。うごかぬ庭石。あかあかと日はつれなくも秋の風。あは、ひとり行く。以上の私の言葉にからまる、或る一すじの想念に心うごかされたる者、かならず、「終日。」を読むべし。私、かれの本の出版を待つこ・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・日本の現代文学の中になにかの推進力として価値あるものをもたらした人々は、北村透谷、二葉亭四迷、石川啄木、小林多喜二など、誰一人として「抽象的な情熱」をもって語り、それを宣伝した人はなかった。これらの人々の情熱は彼らの生きた歴史のゆるすぎりぎ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・のグループが北村清吉を代表として部落委員会らしいものを組織する話をもち出してくるのであるが、この月夜の晩、彼プロレタリア作家の心は「この一言でまるで満月のようにふくれてしまった。」そしてただちに「同志Tよ。僕の煩悶は無駄であった」と安心し、・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・思想的・文学的な内容において情熱という言葉が日本に導き入れられたのは、北村透谷によってであったということは、意味ふかい一つの事実である。そして、同時代人の島崎藤村氏が、こんにち「夜明け前」を完成し、国際ペンクラブ東京招致に成功したりしている・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・京大阪での五六年間を、宗房はこれまでのつづきで談林派の北村季吟の門に遊んだり、漢籍や書の修業に費したらしいけれども、彼の多感な青春彷徨は、武家時代をひきついで十七世紀の日本の歴史に新時代を画しつつあった商人擡頭期の京大阪の豪奢な日夜のうちに・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・は一世を風靡したが、硯友社の戯作者的残滓に堪え得なかった北村透谷は、初めて日本文学の上にヒューマニティの提唱をもって立ち現れた。高く、広く、輝かしく飛翔せんと欲する自我、人間性は、ロマンチシズムの焔に照らされて、通人の妥協的屈服的世界観を拒・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・日本から行った阿部知二、北村喜八の両氏はこんどこそ、かつて島崎藤村がヴェノスアイレスのペンクラブ大会へ行ったときのようには振舞わないだろう。藤村は世界の文学者がこぞって反ファシズムの文化闘争を決議したその大会で、終始、日本の文学者として反フ・・・ 宮本百合子 「私の信条」
出典:青空文庫