ほうじょうあきとき【北条顕時】
[1248〜1301]鎌倉中期の武将。実時の子。父の志を継ぎ、金沢文庫を隆盛にした。金沢顕時。
ほうじょううじつな【北条氏綱】
[1486〜1541]戦国時代の武将。早雲の子。伊豆・相模・武蔵・下総 (しもうさ) などを征圧。小田原城下の商業発展を図り、後北条氏の基礎を確立した。
ほうじょううじなお【北条氏直】
[1562〜1591]戦国時代の武将。氏政の長男。織田信長の没後、徳川家康と対立したが和睦。のち豊臣秀吉に小田原城を包囲攻撃され、降伏して高野山に追放。
ほうじょううじなが【北条氏長】
[1609〜1670]江戸前期の旗本・軍学者。幕府大目付、安房守。北条流兵学の祖。後北条氏の出身で、軍学を小幡景憲 (おばたかげのり) に学ぶ。オランダ流攻城法を学んだことや、江戸地図を作成したことでも知られる。著作に「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。
ほうじょううじまさ【北条氏政】
[1538〜1590]戦国時代の武将。氏康の長男。武田信玄・上杉謙信の攻防に連携・対抗しながら領土を確保した。晩年、豊臣秀吉に小田原城を包囲され、敗れて自刃。
ほうじょううじやす【北条氏康】
[1515〜1571]戦国時代の武将。氏綱の長男。上杉憲政・古河公方 (こがくぼう) 足利晴氏を破り、武田・今川両氏と結んで関東進攻を図る上杉謙信に対抗し、後北条氏の最盛期を招いた。検地の実施や伝馬制度の整備など、領国経営に尽力した。
ほうじょうかてい【北条霞亭】
[1780〜1823]江戸後期の漢詩人。志摩の人。名は襄。字 (あざな) は子譲・景陽。霞亭は号。京都で皆川淇園 (きえん) に、江戸で亀田鵬斎 (ほうさい) に学ぶ。備後の菅茶山に招かれ廉塾の塾頭、次いで福山藩藩儒となる。著作に「霞亭摘藁」「霞亭渉筆」など。
ほうじょうさねとき【北条実時】
[1224〜1276]鎌倉中期の武将。義時の孫。引付衆・評定衆を歴任して、執権を補佐。学問を好み、書籍を書写・収集して、晩年に建てた武蔵国金沢の称名寺に保管。蔵書は子孫によって一層拡充され、金沢文庫となった。金沢実時。称名寺殿。
ほうじょうし【北条市】
⇒北条
ほうじょうしげとき【北条重時】
[1198〜1261]鎌倉前期の武将。義時の三男。六波羅探題・連署を歴任して、執権北条時頼を補佐。のち出家。彼の残した「北条重時家訓」は、後世の武家家訓のもととなった。極楽寺殿。