・・・かくてようように眠りがはっきりと覚めたので、十分に体の不安と苦痛とを感じて来た。今人を呼び起したのも勿論それだけの用はあったので、直ちにうちの者に不浄物を取除けさした。余は四、五日前より容態が急に変って、今までも殆ど動かす事の出来なかった両・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・それでも塩水選をかけたので恰度六斗あったから本田の一町一反分には充分だろう。とにかく僕は今日半日で大丈夫五十円の仕事はした訳だ。なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当二石そこそこしかとっていなかったのを今度はあちこちの農事試験場の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約があるが、あの大切な、謂わば製作者溝口の、人生に対する都会的なロマンチシズムの頂点の表現にあたって、あれ程単純に山路ふみ子の柄にはま・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・』 かれは十分弁解した、かれは信ぜられなかった。 かれはマランダンと立ち合わされた。マランダンはどこまでも自分の証拠をあげて主張した。かれらは一時間ばかりの間、言い争った。アウシュコルンは自分で願って身躰の検査を求めた。手帳らしきも・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・しかし課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行けば好いと思う。 そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めている。木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしているかと怪むことだろう。 顔を洗い・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 今一人は十八九の若武者と見えたけれど、鋼鉄の厚兜が大概顔を匿しているので十分にはわからない。しかし色の浅黒いのと口に力身のあるところでざッと推して見ればこれもきッとした面体の者と思われる。身長はひどく大きくもないのに、具足が非常な太胴・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・そうして、われわれの文学の新しき問題たるべきことこそは、彼らに代って起るべき充分に文学を問題とした社会主義文学でなければならぬ。かかる社会主義的な文学は、当然、正統な弁証法的発展段階のもとに成長して来た、新感覚派文学の中から起るべき運命を持・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・それは何でもない小さい出来事ですが、しかし私の心を打ち砕くには十分でした。 私は妻と子と三人で食卓を囲んでいました。私の心には前の続きでなおさまざまの姿や考えが流れていました。で、自分では気がつきませんでしたが、私はいつも考えにふける時・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫