・・・…… 寛文十年陰暦十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上った。彼の振分けの行李の中には、求馬左近甚太夫の三人の遺髪がはいっていた。 後談 寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・……「十月×日 俺はだんだん馬の脚を自由に制御することを覚え出した。これもやっと体得して見ると、畢竟腰の吊り合一つである。が、今日は失敗した。もっとも今日の失敗は必ずしも俺の罪ばかりではない。俺は今朝九時前後に人力車に乗って会社へ行った・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・そして四つと三つと二つとになるお前たちを残して、十月末の淋しい秋の日に、母上は入院せねばならぬ体となってしまった。 私は日中の仕事を終ると飛んで家に帰った。そしてお前達の一人か二人を連れて病院に急いだ。私がその町に住まい始めた頃働いてい・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 明治三十八乙巳年十月吉日鏡花、さも身に染みたように、肩を震わすと、後毛がまたはらはら。「寒くなった、私、もう寝るわ。」「御寝なります、へい、唯今女中を寄越しまして、お枕頭もまた、」「いいえ、煙草は飲まない、お火な・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・なくなられたその日までも庭の掃除はしたという老父がいなくなってまだ十月にもならないのに、もうこのとおり家のまわりが汚なくなったかしらなどと、考えながら、予も庭へまわる。「まあ出しぬけに、どこかへでも来たのかい。まあどうしようか、すま・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
九月の始めであるのに、もはや十月の気候のように感ぜられた日もある。日々に、東京から来た客は帰って、温泉場には、派手な女の姿が見られなくなった。一雨毎に、冷気を増して寂びれるばかりである。 朝早く馬が、向いの宿屋の前に繋がれた。其の・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
一 それは私がまだ二十前の時であった。若気の無分別から気まぐれに家を飛びだして、旅から旅へと当もなく放浪したことがある。秋ももう深けて、木葉もメッキリ黄ばんだ十月の末、二日路の山越えをして、そこの国外れの海に臨んだ古い港町に入っ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・いわゆる月足らずで、世間にありがちな生れだったけれど、よりによって生れる十月ほど前、落語家の父が九州巡業に出かけて、一月あまり家をあけていたことがあり、普通に日を繰ってみて、その留守中につくった子ではないかと、疑えば疑えぬこともない。それか・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・で今度もまた、昨年の十月ごろ日光の山中で彼女に流産を強いた、というようにでも書き続けて行こうとも思って、夕方近くなって机に向ったのだったが、年暮れに未知の人からよこされた手紙のことが、竦然とした感じでふと思いだされて、自分はペンを措いて鬱ぎ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・――一九二五年十月―― 梶井基次郎 「橡の花」
出典:青空文庫