・・・煙は、早春の午後をわずかにくゆらせながら、明い静かさの中に、うす青く消えてしまう。「こう云うのどかな日を送る事があろうとは、お互に思いがけなかった事ですからな。」「さようでございます。手前も二度と、春に逢おうなどとは、夢にも存じませ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 曇った秋の午後のアプスは寒く淋しく暗み亘っていた。ステインド・グラスから漏れる光線は、いくつかの細長い窓を暗く彩って、それがクララの髪の毛に来てしめやかに戯れた。恐ろしいほどにあたりは物静かだった。クララの燃える眼は命の綱のようにフラ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・その東雲御覧を、今やこれ午後二時。さるにても朝寝のほど、昨日のその講演会の帰途のほども量られる。「お客様でございますよう。」 と女中は思入たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい通りの返事をされたもどかしさに、声で威して甲走・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ 二 大雨が晴れてから二日目の午後五時頃であった。世間は恐怖の色調をおびた騒ぎをもって満たされた。平生聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・じゃ、その他の命令は出さんから、この川を出るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、敵に悟られん様に、聨隊長からひそかに、口渡しで、僕等に伝えられ、僕等は今更電気に打たれた様に顫たんやが、その日の午後七時頃、いざと一同川を飛び出すと、生・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 秋の静かな、午後でありました。弱い日の光が、軽い大地の上にみなぎっていました。のぶ子は、熱心に、母が、箱を開けるのをながめていました。やがて、包みが解かれると、中から、数種の草花の種子が出てきたのであります。 その草花の種子は、南・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・ 五 お光の俥は霊岸島からさらに中洲へ廻って、中洲は例のお仙親子の住居を訪れるので、一昨日媼さんがお光を訪ねた時の話では、明日の夕方か、明後日の午後にと言ったその午後がもう四時すぎ、昨日もいたずらに待惚け食うし、今日・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・この機会にふたたび“人生双六”の第一歩を踏みだしてはどうかと進言したのが前記田所氏、二人は『お互い依頼心を起さず、独立独歩働こう、そして相手方のために、一円ずつ貯金して、五年後の昭和十五年三月二十一日午後五時五十三分、彼岸の中日の太陽が大阪・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・Kは午前中は地方の新聞の長篇小説を書いて居る。午後は午睡や散歩や、友達を訪ねたり訪ねられたりする時間にあててある。彼は電車の中で、今にも昏倒しそうな不安な気持を感じながらどうか誰も来ていないで呉れ……と祈るように思う。先客があったり、後から・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。う・・・ 梶井久 「臨終まで」
出典:青空文庫