・・・だからもっと卑近な場合にしても、実生活上の問題を相談すると、誰よりも菊池がこっちの身になって、いろ/\考をまとめてくれる。このこっちの身になると云う事が、我々――殊に自分には真似が出来ない。いや、実を云うと、自分の問題でもこっちの身になって・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・ 卑近の例を取って言えば、民衆を教育せんがために、多くの学校は建てられたのである。教育ということが、何よりも第一の目的たることは疑わない。しかるに、教化というものが第二であり、第一にそれ等の経営者が営利を目的とするとしたら何うでありまし・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・ 本当の芸術は現在の生活から飛躍した生活を暗示するものでなくてはならない。卑近な眼界からヨリ遠い人間生活の視野を望ましめるものでなくてはならぬ。此の力を欠いているものは謂わゆる現実性を欠いた芸術である。現実性のある文芸のみが、民衆の文芸・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・たとえば、卑近な例を挙げてみれば、彼は米琉の新しい揃いの着物を着ていても、帽子はというと何年か前の古物を被って、平然として、いわゆる作家風々として歩き廻っているといった次第なのである。「……それでは君、僕はそういうわけだから、明日の晩は・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・frei でない例は、卑近な所に沢山あるが、多すぎてかえって挙げにくい。たとえば、僕のうちの電話番号はご存じの通り4823ですが、この三桁と四桁の間に、コンマをいれて、4,823と書いている。巴里のように 48 | 23 とすれば、まだしも・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・わしは西洋の思想は、すべてキリストの精神を基底にして、或いはそれを敷衍し、或いはそれを卑近にし、或いはそれを懐疑し、人さまざまの諸説があっても結局、聖書一巻にむすびついていると思う。科学でさえ、それと無関係ではないのだ。科学の基礎をなすもの・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査をやっていたという事は面白い事である。彼自身の言葉によるとこの職務にも相当な興味をもって働いていたようである。 一九〇五年になって彼は永い間の研究の結果を発表し始めた。頭の中にいっぱい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。 それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・それからまた鹿狩りの場に現われた貴族的なスポーツ風景は国粋主義の紳士淑女を喜ばすものであり、シャトーにおける生活の空虚と痴愚を露骨に風刺する多数の画面は卑近な民衆イデオロギーに迎合するものであろう。その中で比較的成効しているのは、サヴィニャ・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・もちろん若いころには免れ難い卑近な名誉心や功名心も多分に随伴していたことに疑いはないが、そのほかに全く純粋な「創作の歓喜」が生理的にはあまり強くもないからだを緊張させていたように思われる。全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫