なんぼくちょうじだい【南北朝時代】
南朝と北朝の対立した時代。 日本で、延元元=建武3年(1336)に後醍醐天皇が吉野に移ってから、後亀山天皇が京都にもどり南北朝が合体した元中9=明徳3年(1392)までの57年間、吉野の南朝(大覚寺統)と、足利氏の擁立する京都の北朝(持明院統)とが対立して争った時代。吉野朝時代。 中国で、漢人の南朝と鮮卑族の北朝が対立した時代。北魏 (ほくぎ) が、439年華北を統一して江南の宋と対してから、589年、隋 (ずい) が陳を滅ぼすまでの約150年間。北朝は5王朝、南朝は4王朝が興亡した。
なんぼくちょうせいじゅんろん【南北朝正閏論】
南朝と北朝のどちらを正統とするかについての論争。「神皇正統記」や「大日本史」以来の経緯があるが、明治44年(1911)両朝を対等とした国定教科書の記述が問題化し、執筆者の文部省編修官喜田貞吉が休職処分となり、以後、南朝を正統とする考え方が第二次大戦敗戦時まで支配的となった。