・・・黒煙を吐く煉瓦づくりの製造場よりも人情本の文章の方が面白く美しく、乃ち遥に強い印象を与えたがためであろう。十年十五年と過ぎた今日になっても、自分は一度び竹屋橋場今戸の如き地名の発音を耳にしてさえ、忽然として現在を離れ、自分の生れた時代よりも・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・一瞬間の中に、すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法のような不思議の変化は、単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・そのうえ、なんらの事件のない時でさえ彼は、考え込んでばかりいて、影の薄い印象を人に与えていた。だが、彼はベッドに入ると直ぐに眠った。小さな鼾さえかいて。 安岡は、ふだん臆病そうに見える深谷が、グウグウ眠るのに腹を立てながら、十一時にもな・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・精細の妙は印象を明瞭ならしむるにあり。芭蕉の叙事形容に粗にして風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んでなしたるところなりといえども、一は精細的美を知らざりしに因る。芭蕉集中精細なるものを求むるに粽結片手にはさむ額髪五月雨や色紙へぎたる壁の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 2 狼森と笊森、盗森人と森との原始的な交渉で、自然の順違二面が農民に与えた永い間の印象です。森が子供らや農具をかくすたびに、みんなは「探しに行くぞお」と叫び、森は「来お」と答えました。 3 烏の北斗七星戦う・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・こま、産婆のいかがわしい生活の一こま、各部は相当のところまで深くつかまれているけれども、場面から場面への移りを、内部からずーと押し動かしてゆく流れの力と幅とが足りないため、移ったときの或るぎこちなさが印象されるのである。 これには、複雑・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・あの報告は生活の印象主義者の報告であった。 花房は八犬伝の犬塚信乃の容体に、少しも破傷風らしい処が無かったのを思い出して、心の中に可笑しく思った。 傍にいた両親の交る交る話すのを聞けば、この大切な一人息子は、夏になってから毎日裏の池・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・自分は感覚を指標としての感覚的印象批評をしたまでにすぎなかった。それは如上の意味の感覚的印象批評である以上、如上の意味で分らないものには分らないのが当然のことである。なぜなら、それらの人々は感覚と云う言葉について不分明であったか若くは感覚に・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・現実の風景を描いた画すらも、画家の直接の印象が現われているという気はしない。画家はそこにある情趣を現わそうともくろみ、そのために必要な自然の一面を雇って来るのである。時にはこの目的のために、すでに古い昔に様式化された山や樹の描き方を、巧妙に・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫