・・・昼中の日影さして、障子にすきて見ゆるまで、空蒼く晴れたればこそかくてあれ、暗くならば影となりて消えや失せむと、見る目も危うく窶れしかな。「切のうござんすか。」 ミリヤアドは夢見る顔なり。「耳が少し遠くなっていらっしゃいますから、・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・十四のおはまにも危うく負けるところであった。実は負けたのだ。「省さん、刈りくらだよ」 というような掛け声で十四のおはまに揉み立てられた。「くそ……手前なんかに負けるものか」 省作も一生懸命になって昼間はどうにか人並みに刈った・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ある年、台風の襲ったとき、危うく根こぎになろうとしたのを、あくまで大地にしがみついたため、片枝を折られてしまいました。そして、醜い形となったが、より強く生きるという決心は、それ以来起こったのであります。いまは、もはや、どんなに大きな風が吹い・・・ 小川未明 「曠野」
・・・ またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩いていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危うく殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼は袋の砂をつかむが早いか、車輪に投げかけました。・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・あるときは風のために思わぬ方向へ船が吹き流され、あるときは波に揺られて危うく命を助かり、幾月も幾月も海の上に漂っていましたが、ついにある日のこと、はるかの波間に島が見えたので大いに喜び、心を励ましました。 その家来は島に上がりますと、思・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰に貰ったのか、キャラメルを手に持ち、ひとびとにとりかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴらや」 と、自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が・・・ 織田作之助 「雨」
・・・雪いよいよ深く、路ますます危うく、寒気堪え難くなりてついに倒れぬ。その時、また一人の旅人来たりあわし、このさまを見て驚き、たすけ起こして薬などあたえしかば、先の旅客、この恩いずれの時かむくゆべき、身を終わるまで忘れじといいて情け深き人の手を・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・ しかるにその翌月、十一月十一日には果してまたもや大法難にあって日蓮は危うく一命を失うところであった。 天津ノ城主工藤吉隆の招請に応じて、おもむく途中を、地頭東条景信が多年の宿怨をはらそうと、自ら衆をひきいて、安房の小松原にむかえ撃・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その人を尊敬し、かばい、その人の悪口を言う者をののしり殴ることによって、自身の、世の中に於ける地位とかいうものを危うく保とうと汗を流して懸命になっている一群のものの謂である。最も下劣なものである。それを、男らしい「正義」かと思って自己満足し・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・バスが発車してまもなく横合いからはげしく何物かが衝突したと思うと同時に車体が傾いて危うく倒れそうになって止まった。西洋人のおおぜい乗った自用車らしいのが十字路を横から飛び出してわれわれのバスの後部にぶつかったのであった。この西洋人の車は一方・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫