・・・もっともこの測量には多大の費用がかかるのであるが、それは幸いに帝国学士院や、原田積善会、服部報公会等の財団または若干篤志家の有力な援助によって支弁され、そのおかげで次第に観測資料が蓄積され、その結果はわが国の有為な少壮学者らの手によって逐次・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・吉原の病院が見え、片側は見渡すかぎり水田のつづいた彼方に太郎稲荷の森が見えた。吉原田圃はこの処をいったのである。裏田圃とも、また浅草田圃ともいった。単に反歩ともいったようである。 吉原田圃の全景を眺めるには廓内京町一、二丁目の西側、お歯・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 陸軍工兵一等卒、原田重吉は出征した。暗鬱な北国地方の、貧しい農家に生れて、教育もなく、奴隷のような環境に育った男は、軍隊において、彼の最大の名誉と自尊心とを培養された。軍律を厳守することでも、新兵を苛めることでも、田舎に帰って威張るこ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・入谷はなお半分靄に包まれ、吉原田甫は一面の霜である。空には一群一群の小鳥が輪を作ッて南の方へ飛んで行き、上野の森には烏が噪ぎ始めた。大鷲神社の傍の田甫の白鷺が、一羽起ち二羽起ち三羽立つと、明日の酉の市の売場に新らしく掛けた小屋から二三個の人・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・この外にまだ三右衛門の妹で、小倉新田の城主小笠原備後守貞謙の家来原田某の妻になって、麻布日が窪の小笠原邸にいるのがあるが、それは間に合わないで、酒井邸には来なかった。 三右衛門は医師が余り物を言わぬが好いと云うのに構わず、女房子供にも、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫