・・・ただ予は自殺せざりし厭世主義者、――ショオペンハウエルの輩とは交際せず。 問 ショオペンハウエルは健在なりや? 答 彼は目下心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるも・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ショオペンハウエルの厭世観の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか? 夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不変頭の上に涼しい光を放っている。さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寐ころんだままチョコレエトの棒でも噛る・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかし年月はこの厭世主義者をいつか部内でも評判の善い海軍少将の一人に数えはじめた。彼は揮毫を勧められても、滅多に筆をとり上げたことはなかった。が、やむを得ない場合だけは必ず画帖などにこう書いていた。君看双眼色不語似無愁・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・「君は、元から、厭世家であったが、なかなか直らないと見える。然し、君、戦争は厭世の極致だよ。世の中が楽しいなぞという未練が残ってる間は、決して出来るものじゃアない。軍紀とか、命令とかいうもので圧迫に圧迫を加えられたあげく、これじゃアたま・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・時勢が積極的となり、事実また、ほんとうに、社会のためにも働いているような人々が、五十以上の人にも多いのを知ると、昔の人の言った、この厭世的な見解は誤っていたということを知るのであります。そして、自分も、これからだと思い、また、真剣に、しなけ・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・稀れに傾向の著るしい作家があって、虚無主義に立ったり厭世主義に立ったり若しくは享楽主義に立ったりしても、其処にはそれ/″\固い信念と強い主張と深い哲学とがある。斯くて人間性の生面に深く徹して行くことを忘れない。 今の我が文壇には右の如き・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・はそんな声を聴かされると何だか哀れっぽくなって堪りません』と思わず口に出しますと『小妹は何故こんな世の中に生きているのか解らないのよ』と少女がさもさも頼なさそうに言いました、僕にはこれが大哲学者の厭世論にも優って真実らしく聞えたが、その・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・『厭世詩家と女性』その他のものを、北村君が発表し始めたのは女学雑誌であったし、ああいう様式を取って、自分を現わそうとしたという事も、つまりこの女学雑誌という舞台があったからだ。殊に雑誌が雑誌だったから、婦人に読ませるということを中心にして、・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。 朝は、意地悪。「お父さん」と小さい声で呼んでみる。へんに気恥ずかしく、うれしく、起きて、さっさと蒲団を・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・あのお方の御環境から推測して、厭世だの自暴自棄だの或いは深い諦観だのとしたり顔して囁いていたひともありましたが、私の眼には、あのお方はいつもゆったりしていて、のんきそうに見えました。大声挙げてお笑いになる事もございました。その環境から推・・・ 太宰治 「鉄面皮」
出典:青空文庫